【レジェンドのツートーン】ブガッティ・タイプ59 白と黒のグランプリレーサー 前編

公開 : 2021.05.23 07:05

戦前のグランプリレーサーは入手困難。ブガッティを専門とする職人が、理想とするカラーリングでレストアしたブガッティ・タイプ59をご紹介しましょう。

もくじ

ツートンカラーの3台のブガッティ
戦後は姿を見せなくなった前オーナー
タイプ59に強く惹き込まれてしまった
ガレージ移転のために自らのT59は売却

ツートンカラーの3台のブガッティ

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
派手なツートン・ボディは、近年なら若々しいカスタムカーに用いられそうだが、80年ほど前はブガッティを印象づける要素の1つになっていた。

創業者だったエットーレ・ブガッティの息子、ジャン・ブガッティは才能に溢れる人物。モールスハイムの工場で生み出される美しいボディには、大勢のファンが生まれた。その中でも特に有名な1台といえば、タイプ55ロードスターだろう。

ブガッティ・タイプ59(1933〜1936年)
ブガッティ・タイプ59(1933〜1936年)

コントラストの強いツートンカラーは、タンクと呼ばれたスポーツ・プロトタイプ、タイプ75Gでも採用されていた。一方で、ワークスチームが用意したグランプリレーサーは単色で仕立てられた。

そんなブガッティに魅せられた、1人のエンスージァストが英国のモータースポーツへ姿を現したのは1938年。素晴らしい3台体勢のブガッティを擁していた。

タイプ55と公道仕様のタイプ54とともに英国へやって来たのが、ブライアン・ルイスがドライブしていたタイプ59グランプリ・レーサー。その3台は、いずれも波型に塗り分けられたモノクロのツートンカラーをまとっていた。

映画俳優のようなルックスのイアン・クレイグは、常にジャケットとシャツ、ネクタイという服装でレースに参戦。彼の持ち込んだブガッティは、1938年シーズンの話題をさらった。

ブガッティ・タイプ59は1938年7月2日、ブライトン・スピードトライアルで公道デビュー。その日の晩にはトラックでプレスコットへ輸送され、クレイグが翌日のスピード・ヒルクライムでクラス優勝している。

戦後は姿を見せなくなった前オーナー

以降、タイプ59は毎週のようにスピードトライアルを戦った。ウェザビー・グランジやプール、プレスコット・ミーティングなど。

プレスコットでは、49.51秒というベストタイムを記録。ブガッティ・オーナーズクラブのビクター・ルドルム(優勝)トロフィーをクレイグは獲得している。

ブガッティ・タイプ59(1933〜1936年)
ブガッティ・タイプ59(1933〜1936年)

ほどなくしてフランス生まれのレーサーは、多くのマシンと同様に倉庫へ保管される。タイプ59は身を潜め、第二次大戦の終わりを待った。

戦火の中、自動車ジャーナリストでブガッティの愛好家でもあったJGローレンスは、タイプ59を発見する。クレイグは徴兵され、その間にカーコレクターのレグ・パーネルが購入していたのだ。ローレンスは、1943年にAUTOCARへその記事を残している。

平和が戻ると、タイプ59はアイルランドの資産家、ロドニー・クラークが買い取った。もとグランプリレーサーは、クラークによりロードカーとして手が加えられた。悲しいことに、特徴的なツートンカラーはブルーに塗り替えられてしまった。

戦争から戻ったクレイグは、映画カメラマンの仕事に就く。クルマ好きは変わらずだったが、選んだのはブガッティではなくフィアット・トッポリーノ。偶然にも、ブガッティをモチーフにしたテールが特徴の、ライトウエイト仕様だった。

1938年に3台のブガッティとともにドラマチックな登場を決めたクレイグだったが、その後はモータースポーツだけでなく、自動車史からも姿を消した。彼の活躍を知るすべは、ブガッティに残る粒子の荒い写真数枚だけだ。

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