【始まりのミドシップ】フェラーリ365 GT4 BBとマセラティ・ボーラ ミウラへ対抗 前編

公開 : 2021.08.14 07:05  更新 : 2022.08.08 07:27

1971年に誕生した、フェラーリ365 GT4 BBとマセラティ・ボーラ。ミウラに対峙したミドシップ・スーパーカー2台を、英国編集部が振り返ります。

サンタアガタの新参が2社を脅かす

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
イタリアの老舗エキゾチック・ブランドは、1966年に突如姿を表したランボルギーニ・ミウラへの切り返しに手を焼いた。ミドシップのランボルギーニへ動揺している様子を、見せるわけにはいかなかった。

優れた技術力と熱心な支持者を擁し、ラテン・パフォーマンスカーの頂点に君臨していたフェラーリマセラティ。しかし、これまでにないモデルの登場は、地球規模で衝撃を与えた。

フェラーリ365 GT4 BBとマセラティ・ボーラ
フェラーリ365 GT4 BBとマセラティ・ボーラ

小規模でも才気溢れるランボルギーニは攻勢を止めず、次なるカウンタックの準備を進める。フェラーリとマセラティは出遅れながらも、365 GT4ベルリネッタ・ボクサー(BB)とボーラで、ブランドの威信を保持した。

イタリア・マラネロとモデナを拠点とする、古参の反応は理解できる。サンタアガタの新参が、2社を脅かすようなモデルを発表したのだから。

高性能モデルで評価を築いていただけに、大排気量のミドシップ・スーパーカーで失敗するわけにはいかなかった。そのため、365 GT4 BBとボーラは過去にないほど綿密な開発テストを経ている。

イタリアのコーチビルダーが自動車創造の頂点にあったような穏やかな時代、美しいボディを与えることはそこまで困難な仕事ではなかった。しかし、270km/hを超えるような最高速度が、デザインを難しいものにした。

公道用モデルとして、不足ない荷室と乗りやすさを兼ね備え、新しい顧客を納得させる必要もあった。常連客を、遠ざけることなく。

387台が生産された365 GT4 BB

マセラティはボーラを発表するまで、ミドシップ・レイアウトへ興味を示すことはなかった。一方のフェラーリは小柄なディーノ、206と246で経験を積んでいた。だが、365 GT4 BBの起源となったのは、V型12気筒のベルリネッタ・レーサーだ。

1963年以降、世界スポーツカー・チャンピオンシップのプロトタイプ・クラスで戦っていたミドシップが、フェラーリにはあった。250Pや250 LMというモータースポーツ純血マシンが、マラネロの取るべき方向性を示すモデルだった。

フェラーリ365 GT4 BB(1975年/英国仕様)
フェラーリ365 GT4 BB(1975年/英国仕様)

同時にピニンファリーナは、公道用のミドシップ・フェラーリがどのような見た目になるべきか、アイデアを膨らませていた。1966年に発表された365Pや、1968年のコンセプトカー、P6はその典型だろう。

ランボルギーニ・ミウラP400登場から5年後の1971年、遂に365 GT4 BBが姿を表す。パリ・モーターショーに展示されたのは、あくまでもプロトタイプではあったが。

まだデイトナの販売は好調で、フェラーリの動きは少し鈍かった。カタログモデルとして販売が始まるまで、さらに2年待つことになる。

1973年から1976年にかけて製造された初期の365 GT4 BBは387台。左右合わせて6灯のテールライトと、同じく合計6本のマフラーが後ろ姿の特徴といえる。

排気量が5.0Lに拡大された1976年以降の512 BBと、燃料インジェクションの512 BBiでは、テールライトが4灯に減少。マフラーも4本出しになっていた。

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