DOHCの小粋なオープン フィアット1500S カブリオレ x アルファ・ロメオ・ジュリア・スパイダー 前編

公開 : 2022.04.03 07:05

小さく活発なツインカムエンジンに可憐なスタイリング。1960年代のイタリアン・スパイダーを英国編集部がご紹介します。

手に届く範囲のイタリアン・エキゾチック

冴えない天気が続く、冬の英国や日本。ふさぎがちな気分を立て直すのにうってつけな1台といえば、1960年代のイタリアン・スポーツカーだろう。エンジンは、12気筒はもちろん、半分の6気筒もいらない。

チェーン駆動のオーバーヘッド・カムシャフトを2本備え、抵抗なく滑らかに呼吸できるセットアップなら、4気筒あれば充分だ。線形的に湧き出るトルクと、6000rpm以上まで回る軽快さ。これに4速か5速のMTが組み合わされば、素晴らしい1日になる。

レッドのアルファ・ロメオ・ジュリア・スパイダー・ヴェローチェと、ブルー・グレーのフィアット・オスカ1500S カブリオレ
レッドのアルファ・ロメオジュリアスパイダー・ヴェローチェと、ブルー・グレーのフィアット・オスカ1500S カブリオレ

今回ご紹介するアルファ・ロメオ・ジュリア・スパイダー・ヴェローチェと、フィアット・オスカ1500S カブリオレは、まさにそんなクルマ。ピニンファリーナによる、可憐なスタイリングが与えられている。当時の陽気なイタリアを匂わせる。

乗り心地が良いとはいえず、英国人としては、ステアリングホイールを握ってもどこか落ち着かないことも事実。程よく日焼けしたラテンな人々が、地中海沿岸を謳歌するためにデザインしてある。

新車当時は、手に届く範囲の、イタリアン・エキゾチックともいえた。リビエラでの暮らしという夢の日常を、世界中の人々へ提供してくれた。

スタイリングは、1500S カブリオレの方が新しく見える。ジュリア・スパイダーの容姿は、いかにもアルファ・ロメオらしい。750/101シリーズなら特に、あまりクラシックカーへ詳しくない人でも、ブランド名が思い浮かぶだろう。

ジュリエッタからジュリアに改名

良く効くヒーターに、上下できるサイドガラスと簡単に開け締めできるソフトトップ。小さなイタリアンは、同年代の英国車より遥かに文明的でもあった。もっとも、1964年の価格は、MGBやトライアンフTR4 Aの2倍ほどしたのだが。

近年は希少性を高め、ブルー・グレーの1961年式1500S カブリオレの売値は、約6万ポンド(約930万円)だという。他方、レッドのジュリア・スパイダー・ヴェローチェには、約10万ポンド(約1550万円)という価格が付いている。

アルファ・ロメオ・ジュリア・スパイダー・ヴェローチェ(1964〜1965年/欧州仕様)
アルファ・ロメオ・ジュリア・スパイダー・ヴェローチェ(1964〜1965年/欧州仕様)

このジュリア・スパイダー・ヴェローチェは、1年間のみ生産された貴重なアルファ・ロメオ。最近レストアを受けたばかりで、新車のように美しい。最初のオーナーは、ニューヨークに住んでいたようだ。

オリジナルが発表されたのは、1955年のパリ・モーターショー。1950年代末期に施された750シリーズから101シリーズへの変更では、50mmほどホイールベースが伸ばされ、ドアに三角窓が追加されている。

当初ジュリエッタを名乗っていたが、1962年にジュリアに改名。少々ややこしい履歴を持つが、同系のシリーズとしては12年間という長い生産を誇る。

112psを発揮する1570ccのツインカムエンジンは、それ以前のジュリエッタより約280cc大きい。ディスクブレーキに5速MTが組まれ、消費活動が旺盛な市場への輸出が前提だった。

1960年代のイタリア人といえば、実用的で倹約的なクルマを好んだ。太陽の日差しから身を守れる、金属製のルーフが付いたモデルが良く売れたという。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

DOHCの小粋なオープン フィアット1500S カブリオレ x アルファ・ロメオ・ジュリア・スパイダーの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事