1台限りのヴィニャーレ・ボディ アストンマーティンDB2/4 ベルギー国王の特注車 前編

公開 : 2022.05.28 07:05

完成に6か月を要したアルミボディ

シャシー番号LML/802のアストン マーティンは、1954年9月にヴィニャーレ社へ届けられた。欧州のコーチビルダー向けに、左ハンドル仕様のDB2/4用ローリングシャシーは10数台製造されているが、その1つとなる。

ちなみに、そのうちの8台はベルトーネ社へ納品されている。ほかにもトゥーリング社やギア社、アッレマーノ社といったカロッツエリアへも1台ずつ。これらを合計すると、14台のスペシャル・ボディのDB2/4が作られたことになる。

アストン マーティンDB2/4 ヴィニャーレ・ボディ(1955年/欧州仕様)
アストン マーティンDB2/4 ヴィニャーレ・ボディ(1955年/欧州仕様)

またヴィニャーレ社は、フランス人のためにも別のDB2/4を製造している。惜しくも、現存していないようだ。

LML/802のシャシーには、142psを発揮する最新の3.0L 直列6気筒エンジンが載っていた。ファイナルレシオは、オプションのロング比が選ばれた。工場出荷時の記録カードには、ワイヤーホイールが部分的にクロームメッキされたことだけが残されている。

ヴィニャーレ社が手掛けたハンドメイドのボディは、アッシュ材のフレームで構成。ミケロッティのデザインをもとに、職人がアルミニウム板を叩き出し、仕上げるまでに6か月を要した。ボードゥアン国王へ納車されたのは、1955年3月だったという。

完成したアストン マーティンを、ヴィニャーレ社は広告に利用した。欧州の王族へ届けられた、美しいボディの2シーター・クーペとして。

V8エンジンへ換装されたLML/802

その1か月前に、ボードゥアン国王は3.0Lエンジンを載せたノーマルのDB2/4も受け取っている。代理店を通じ、パリのベルギー大使館へ納車されたという。ヴィニャーレ・ボディのLML/802とともに、2台には外交官登録のナンバーが付けられた。

国王は、ノーマルのアストン マーティンDB2/4は大切に維持した。1989年までオーナーが変わることはなかったようだ。

アストン マーティンDB2/4 ヴィニャーレ・ボディ(1955年/欧州仕様)
アストン マーティンDB2/4 ヴィニャーレ・ボディ(1955年/欧州仕様)

ところがヴィニャーレ・ボディへの関心は、瞬く間に失われてしまった。わずか数年後、1950年代後半のどこかの時点で、王室の補佐官へ売却されている。

その後、アメリカ軍のNATO部隊としてフランスに赴任したジェームズ・トス氏が、パリ裏通りのガレージでヴィニャーレ・ボディのLML/802を発見。彼は直列6気筒エンジンへ深刻なダメージを加えて不動車にし、陸軍大尉へ譲っている。

ほどなくして、ポンティアックのV8エンジンへ換装された状態で、バージニア州のスクラップ置き場行きになった。ベルギー王室御用達という名声は、忘却されたかのように。

そのまま1990年代まで放置されたが、ローランド・ウォマック氏という人物が救出。アストン マーティンを得意とする、英国のアストン・ワークショップ社へ転売される。もちろん、イタリアン・ボディをまとったDB2/4のレストアは、簡単ではなかった。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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