完璧主義のレストア ジャガーEタイプ・シリーズ1 ロードスター ネジ1本までオリジナル 前編

公開 : 2022.07.03 07:05

幸運にも近年まで保たれたオリジナル状態

当初選ばれたのが、レーシングドライバーのビクター・パーネス氏。しかし話が付かず、デモ車両としてしばらく使用され、ロンドン南東部にあるブロムリーという町のディーラー、KJモーターズへ卸された。

最初のオーナーになったのが、ピーター・ライト氏。モーリス・マイナーを売却し、100ポンドの手付金も支払い済みだった。ブラウンズレーンの生産ラインが本格始動するより早く、Eタイプが届くとは想像していなかっただろう。

ジャガーEタイプ・シリーズ1 ロードスター(1961年/英国仕様)
ジャガーEタイプ・シリーズ1 ロードスター(1961年/英国仕様)

160 RKJのナンバーで登録されたシリーズ1 ロードスターは、1961年10月に納車。ブラックのソフトトップにレッド・レザーの内装で仕立てられていた。当初はクラブレースでの走行が想定されていた名残りとして、コンペティション・クラッチが組まれていた。

ライトはEタイプを11年間所有し、オリジナル状態のまま約4万6000kmを走った。1972年以降は乾燥した環境に保管され、1980年代に入ると公道を走れる状態を目指し、地元のガレージへ簡単なレストアに出される。

この頃は、生産当時の状態を保つことへの価値が充分に認められていなかった。もし金銭的に余裕があれば、量産後の違う再生部品が用いられ、最初期の特徴は失われていたかもしれない。

しかし、資金に限度があったことが幸いした。レストアは途中で断念され、Eタイプの専門店を営むデビッド・エイガー氏へ売却された。

同じ頃、ブリッジズはサビだらけのサンビーム・タイガーのレストア真っ最中。だが、初期のEタイプ・ロードスターを手掛けたいという、最終的な希望を抱いていた。

1993年にEタイプを入手するも放置状態に

「1990年代の初めには、Eタイプも何台か手に入れていました。しかし、サイドロックのボンネットのクルマが欲しいと考えていたんです。そこで世界中を捜索。サンディエゴに1台見つけましたが、海岸沿いということでボディは錆びていました」

「それから、ディーラーへ手当り次第電話。デビッド・エイガーさんも含まれていて、初期のロードスターを所有しているものの、売却する気はないという返事でした。レストアするためにね」。とブリッジズが回想する。

ジャガーEタイプ・シリーズ1 ロードスターのレストア作業の様子
ジャガーEタイプ・シリーズ1 ロードスターのレストア作業の様子

「諦めきれず、何度も彼へ頼みました。しつこく。面倒くさくなって、当てずっぽうに売値を提示されるまで」

特別なEタイプに関する、価格の指標はまだなかった。「何を参考に値段を考えるべきか、わかりませんでした。かなりの高額で、実際の価値以上を支払ったと思います」

Eタイプは、部分的に分解されていた。それでも、センターロック・ホイールを固定するトールハンマーや純正のツールキットも残る、素晴らしい状態だったという。

念願のシリーズ1 ロードスターを1993年に入手したブリッジズは、ボディの修復を専門家のマーティン・ロベイ氏へ依頼した。「あまり悪い状態ではありませんでした。しかし、サイドシルやフロアは修復が必要でした。雨漏りしますからね」

一方、本人はJLRでの仕事が忙しくなり、自身のクルマへ時間を咲くことが難しくなった。修復されたボディは戻ってきたが、放置状態になったという。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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