ジャガーEタイプxフォード・ギャラクシー 8.5L V8エンジンのイーガル 忘れられない衝撃 前編

公開 : 2022.09.10 07:05

476psの6997ccビッグブロックを選択

一方のリチャードソンは、スキルのあるレーシングドライバーだった。1948年にはシルバーストーン・サーキットで開かれたレースで、ERAライレーというマシンをドライブしている。

1949年からはRRA(リチャードソン・レーシング・オートモービル)チームを立ち上げ、レーシングカーを開発。エンジニアとしても高い評判を獲得した。

ジャガーEタイプ・イーガル(1964年/英国仕様)
ジャガーEタイプ・イーガル(1964年/英国仕様)

彼のスキルは多彩で、作るものを選ばなかった。1970年代には、第二次大戦中の怪我が悪化し片方の膝下を切断する手術を受けた。依頼していた義足工場がストライキで停止すると、彼は自ら義足を2本作ったという。

1本は日常的な歩行用。もう1本はクラッチペダルを踏みやすく改良を加えた、運転用だった。

イーガルを着想する以前、ベックとリチャードソンはジャガーXK120のチューニングを手掛けていた。その経験を活かし、EタイプのシャシーへアメリカンV8をドッキングするという手法に帰着したようだ。

選ばれたのは、427cu.in(6997cc)のビッグブロック。フォード・ギャラクシー・ユニットだった。1964年後半の記録では、デイトナ仕様のチューニングで476psを発揮していた。

このエンジンは、ジャガー製の直列6気筒より59kg重かった。そこで2人は鋳鉄製のマニフォールドやベルハウジングを交換し、340kgまで軽くした。それを迎えるボディとシャシーは、1962年式のジャガーEタイプ・ロードスターだった。

フェラーリ 250GTOを引き離す加速力

フロントサブフレームは、大きなエンジンを搭載する都合上、幅を広げる必要があった。トランスミッションはオリジナルのジャガー社製。フォードのエンジンと結合させるためフライホイールとクラッチは専用品で、アダプタープレートを介している。

スターターモーターの位置を上にずらしたり、ステアリングコラムの構造を再設計するなど、伴う変更か所は少なくない。ジャガーの4HU型ディファレンシャルやドライブシャフト、ユニバーサル・ジョイントが、巨大なトルクを受け止めた。

ジャガーEタイプ・イーガル(1964年/英国仕様)
ジャガーEタイプ・イーガル(1964年/英国仕様)

サスペンションとブレーキは、レース用アイテムにアップグレード。ラジエーターとオイルクーラーも強化された。ボンネットは軽量なものへ交換され、フェラーリ250 GTO風の3つ並んだエアインテークが見た目の特徴となった。

記録では、リチャードソンはイーガルの凄まじい可能性に驚いたようだ。同時に、ノーマルのEタイプのように操縦できるものの、特にインボード構造のリア側でブレーキが過熱気味だという問題も発覚したらしい。

初戦となったのは、1964年6月20日のシルバーストーン・サーキット。ベックは10周のスポーツレーシングカー・イベントで優勝を掴んだ。続く8月には、グレートブリテン島の西、カッスルクーム・サーキットへ舞台を移した。

そこには、レーシングドライバーのロン・フライ氏とピーター・クラーク氏がドライブする、フェラーリ 250 GTOが待っていた。それでも、圧倒的な加速力でイタリアン・サラブレットを大きく引き離し勝利している。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジェームズ・ページ

    James Page

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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