オフローダーの民主化 ジープ・チェロキー ランドローバー・レンジローバー 英米の革新者 前編

公開 : 2023.01.28 07:05

ワゴニアへ触発され誕生したレンジローバー。SUVの一層の民主化を進めたチェロキーとともに、英国編集部が振り返ります。

英国で熱い視線が向けらたチェロキー

ランドローバージープといえば、英米を代表するオフロードモデル・ブランド。それぞれ多様な選択肢を提供しているが、英国や日本では直接的なライバルにされることは殆どない。

しかし1993年、XJ型の2代目ジープ・チェロキーがロンドンのショールームに並んだ時は、少し状況が違った。好調に売れもした。1995年にグランドチェロキーも投入され、英国での販売数は合計4万4000台に達し、大きなシェアを掴んでいる。

ダークグリーンのランドローバー・レンジローバー 3.9SEと、ブラックのジープ・チェロキー 4.0リミテッド
ダークグリーンのランドローバー・レンジローバー 3.9SEと、ブラックのジープ・チェロキー 4.0リミテッド

4.0Lエンジンのボクシーなオフローダーは、当時の英国では初代レンジローバーの競合モデルとしてしのぎを削った。それから30年が経過したが、今回はこの2台を振り返ってみよう。

現在はマニアから熱烈な支持を集める初代ランドローバー・レンジローバー、クラシック・レンジだが、当時の英国のファミリー層から熱い視線が向けられていたのはジープ・チェロキーだった。学校やサッカー・クラブの送迎にも活躍した。

それまでのジープは、細々と並行輸入されていた程度。1993年から親会社のクライスラー自らが本腰を入れ、英国への輸出が始まった。

北米では、初代フォードエクスプローラーが登場。自国の一般家庭という、チェロキーの主要市場を侵食し始めていた。新たなユーザーを必要としていた。

ジープは1980年代にフランスのルノーと協力関係を結んでおり、既に欧州市場で販売されていた。だがコストを理由に、右ハンドル仕様は用意されてこなかったのだ。

乗りやすいSUVが支持される未来を予見

他方、高級オフローダーの代名詞的な存在へ成長したレンジローバーだが、その元祖ではない。1963年に、ジープが初代ワゴニアでこのコンセプトを具現化させていた。

ランドローバーがジープのアイデアを習った例は、これだけではない。初代ランドローバー、後のディフェンダーは、第二次大戦で活躍したウイリスMB、通称ジープへ影響を受けたモデルだった。実際、プロトタイプではシャシーも流用されている。

ジープ・チェロキー 4.0リミテッド(1984〜2001年/英国仕様)
ジープ・チェロキー 4.0リミテッド(1984〜2001年/英国仕様)

さらなるジープの発明といえたのが、1984年のXJ型チェロキーだ。乗りやすいSUVが支持される未来を予見していたといっていい。全長は4255mm、全幅は1725mmしかなく、改めて対面するとコンパクトさに驚く。

その反面、オフローダー向けのモノコック構造、ユニボディを採用し車内は広々としている。クラシック・レンジより215mm短く、152mm低く、469kgも軽量でありながら、着座時の頭上空間や荷室容量は同等。膝前にもゆとりがある。

クラシック・レンジは従来的なラダーフレーム構造を採用し、ボディがその上に載っている。フロントシートの間には、トランスミッション・トンネルが大きく膨らむ。高いフロアに、小ぶりなシートが固定されている。

運転姿勢は、背筋を伸ばしたコマンドポジション。スタイリングの特徴でもある低いウエストラインと相まって、広いグラスエリアから優れた視界を全周囲で得ている。

高い視点から市街地の喧騒を見下ろすと、ある種の優越感に浸れる。混雑した英国では、特にそんな印象が強い。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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