1941年:ウイリスMB

オフローダーの代名詞といえる、ジープ。そのオリジナルの名称は、ウイリスMBという。第二次大戦時にはフォードもGPWという同モデルをライセンス生産し、機動的な移動手段として北米陸軍から厚い信頼を得ていた。

シンプルで走破性が高く、2.2L 4気筒エンジンはタフだった。戦争が終わると、農業を営む人々から愛された。

1941年:ウイリスMB
1941年:ウイリスMB

ウイリスMBの源流にあるのは、北米陸軍の要件に基づいて設計された、アメリカン・バンタム社による小型の偵察車両プロトタイプ。性能は優れていたが、同社には量産する能力がなく、ウイリスとフォードが開発を継承。伝説的な四輪駆動車が誕生したのだ。

1948年:ランドローバー・シリーズワン

ローバーの主任技術者だったモーリス・ウィルクス氏は、任務を終えたウイリスMBの走りに英国の農場で感銘を受けた。しかし、自国には後任になるモデルがないことへ気がついた。

そこで彼は、広大な畑や不整地に対応でき、一般道も走ることができる、農家向けの四輪駆動モデルの設計へ着手。果たして、完成したランドローバー・シリーズワンは、堅牢さからすぐに多くの支持を集めた。

1948年:ランドローバー・シリーズワン
1948年:ランドローバー・シリーズワン

当時は戦後需要でスチール材が不足しており、ボディにはアルミニウムを選ぶ必要があった。ところが、アルミは錆びにくく軽量。四輪駆動のランドローバーは軽く高耐久に仕上がり、過酷な悪路にもひるまない能力を備えるに至った。

1951年:トヨタランドクルーザー

ランドローバーが英国で誕生した頃、日本でも新しい四輪駆動車の開発が進められていた。アメリカ軍が乗っていたウイリスMBのように、多くのニーズへ応えるべく。

日本政府の要求に応じ、国産の小型多目的車の開発へ挑んだトヨタは、ウイリスMBのパッケージングをお手本に選んだ。最初の量産仕様が完成したのは1951年。トヨタはジープBJと名付けるが、ウイリス側が異議を唱えランドクルーザーへ改名されている。

1951年:トヨタ・ランドクルーザー
1951年:トヨタ・ランドクルーザー

初代ランドクルーザーには、過酷なオフロードに対応するローレシオ・トランスファーは備わっていなかった。だが、地形に応じて四輪駆動か後輪駆動を切り替えられる点が特長といえた。

1953年、6気筒エンジンを3.4Lから3.9Lへ変更し、民生仕様の販売がスタート。それ以来、ランドクルーザーは世界中で重宝され、現在までに通算1000万台以上が生産されている。

1958年:オースチン・ジプシー

ランドローバーから遅れること10年、英国のオースチンも手頃な価格の四輪駆動モデル、ジプシーを開発した。当初から民間ユーザーをターゲットにしていた点が、ウイリスMBに影響を受け、軍用車両として活躍したオースチン・チャンプとは大きく異る。

エンジンは2.2Lで、ガソリンとディーゼルが提供された。アレックス・モールトン博士が開発した、ラバーコーン・スプリングのサスペンションを採用していたことも面白い。ランドローバーより、悪路でも速く快適な乗り心地を得ていた。

1958年:オースチン・ジプシー
1958年:オースチン・ジプシー

完成度は低くなかったが、オースチンを傘下に収めていたブリティッシュ・モーター・コーポレーションは、ランドローバーを傘下にするレイランド・モータースと合併。同じグループ内の競合モデルとして、ジプシーは廃盤に追い込まれてしまう。

この続きは中編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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