むき出しのオイルクーラー NSU 1000 TTS 1960年代のジャイアントキラー 前編

公開 : 2023.06.18 07:05

そのまますぐに競技へ出られるNSU

1965年には、スポーティな1000 TTが登場。排気量は1085ccへ拡大され、最高速度は148km/hが主張された。丸目4灯のヘッドライトに黒のストライプ、クロームメッキのTTエンブレム、開閉可能なリアウインドウなど、見た目での違いも明らかだった。

1969年になると、1177ccへ排気量を増やした1200 TTへ進化。強化バルブスプリングとツインキャブレターなどでチューニングされ、0-97km/h加速13.0秒、最高速度160km/hという能力が与えられた。実際の試乗テストでは、そこへ届かなかったが。

NSU 1000 TTS(1969年式/欧州仕様)
NSU 1000 TTS(1969年式/欧州仕様)

同じ1969年、NSUはフォルクスワーゲン傘下へ買収されるが、1200 TTは1972年まで生産が続いた。ロータリー・エンジンのサルーン、Ro80を提供するなど、技術的な特徴を持つメーカーといえたが、1977年以降は同社による量産車は提供されていない。

古いクルマ好きの記憶には残っているかもしれないが、NSUはサーキットやラリーでも確かな成功を残してきた。現在のアウディの一翼を担っていることを、ご存じの方もいらっしゃると思う。

今回の主役、1000 TTSが発表されたのは1967年。当時のAUTOCARは、「そのまますぐに競技へ出られる、インスタント・ラリーカーに属するといえます。ドライバーが必要とするものが、すべて搭載されています」。と紹介している。

もちろん、誇張などではなかった。排気量1.0L以下クラスのグループ2へ合致するよう、シリンダーのボアが69mm、ストロークが66mmへ改められた、996ccの4気筒エンジンを積んでいた。

オプションを盛り込めば100psに届いた

4気筒のヘッドはSOHCのままながら、タイミングが改められ高回転域でパワーアップ。圧縮比は10.5:1と驚くほど高く、専用の鍛造ピストンが組まれた。

長いスワンネック・マニフォールドを介して燃料を供給したのは、2基のソレックス社製ツインチョーク・キャブレター。ベース仕様の最高出力は84ps/6150rpmと、驚くほどではなかったが、NSUは複数のギア比を設定していた。

NSU 1000 TTS(1969年式/欧州仕様)
NSU 1000 TTS(1969年式/欧州仕様)

エンジンに用意されたオプションは、太いスポーツ・エグゾーストにラムパイプ、大容量のキャブレタージェット、強化デスビや高性能プラグなど。すべてのアイテムを盛り込むことで、最高出力は100psに届いたという。

サスペンションは、形式としては通常のTTと大差なかった。フロントがウイッシュボーン式、リアがスイングアスクル式で、コイルスプリングとダンパーという構成。それでも、明確なネガティブ・キャンバーと強めの減衰力が与えられていた。

スチール製の大径ドラムブレーキと、大容量の燃料タンクを指定することも可能だった。スチールホイールもワイド。余計なホールキャップは備わらず、ドーム状のホイールナットで固定された。

1000 TTSの生産数は2402台で、1971年7月に廃盤となるが、モータースポーツでの活躍はしばらく続いた。ドイツレーシングカー選手権に向けて、1万rpm以上まで回る1.3Lユニットを積んだ例を開発したチームもあったようだ。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    リチャード・ヘーゼルタイン

    Richard Heseltine

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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