いい味出てる 初代ハイエース トヨタ車体のレストア、完成まであと一歩?

公開 : 2023.11.06 18:15

鮮やかなブルーの初代ハイエース。レストアをしているトヨタ車体に、お話を伺いました。第1関門は車体探し。残る作業は?

初代ハイエース サイズは?

トヨタ・グループで、ハイエースやノア/ヴォクシー、そしてアルファード/ヴェルファイアなどを製造しているトヨタ車体。

同社は、以前から東京モーターショー(現ジャパン・モビリティショー)に独自のブースを出展し、さまざまなコンセプトカーや市販車を展示している。

初代ハイエース・デリバリーバン(ジャパン・モビリティショー2023)
初代ハイエース・デリバリーバン(ジャパン・モビリティショー2023

今回も、トヨタ車体のブースでは、ユニークな商用バンやミニバンのコンセプトモデルを中心とした展示が行われていた。だが、ブースの片隅にひっそりと(というほど隠れてはいないのだが)、鮮やかなブルーにペイントされた初代ハイエース・デリバリーバンが展示されていた。

ハイエースは、トヨタ車体が開発から生産まで行っており、初代が1967年に登場したトヨタの商用1ボックス車だ。

現行型は2004年に登場した5代目で、かなりのロングセラーとなっている。2019年に登場した輸出仕様のハイエースは、日本ではグランエースとして販売されている。

この初代ハイエース・デリバリーバン、サイズは全長4305×全幅1690×全高1890mm、ホイールベースは2350mm。

現代のノア/ヴォクシーと比べても、けっこう小さく感じる。それでも3列のベンチシートを備え、乗車定員は9人と現代のミニバンよりも多いのだ。

この作業が、会社の財産に

その懐かしいスタイルとキレイに仕上げられたボディにちょっと惹かれたので、関係者に話を伺ってみた。

この初代ハイエース、レストアが施されているのだが、その発端は2017年のハイエース生誕50周年を記念して、お台場にかつてあったメガウェブで歴代モデルを展示したイベントだった。当時、トヨタ車体では初代ハイエースを保存してはいなかったのだ。

初代ハイエース・デリバリーバン(ジャパン・モビリティショー2023)
初代ハイエース・デリバリーバン(ジャパン・モビリティショー2023)

そこで、一般の方が所有するクルマやネットオークションなどを探しまわり、やっと個人所有の初代ハイエースを見つけて譲ってもらった。だが、永く商用車として使われていたため内外装はボロボロ。

展示用にレストアしなければならなかったが、専門のレストア業者ではなく、社内で行うことにした。

試作部のベテランと若手技術者がチームを組んで、初代ハイエースをレストアする。それは技術の伝承にもなり、会社にとっては目に見えない大きな財産となっていく。

内装は? 懐かしい操作系

外装は細かいパーツを外し、板金作業でボディを修復し、再塗装を施す。

内装もインパネまわりやシートなどを外し、使えるパーツはきれいに修復し、使えないパーツは新たなものに取り替える。

初代ハイエース・デリバリーバンの内装
初代ハイエース・デリバリーバンの内装

こうして、鮮やかなブルーにペイントされた初代ハイエースが仕上げられた。

じつは、このハイエース、正式な年式はよく分かっていない。初代ハイエースには前期・中期・後期と3タイプあり、フロントグリルなどの意匠が微妙に異なっているそうだ。

このハイエースは後期型のグリルを装着しているのだが、それもレストアで交換したパーツで、他にも年式の違うパーツはいろいろと使われているという。ともあれ、初代ハイエースであることに変わりなはい。

インテリアを見せてもらうと4速マニュアルのコラムシフトやステッキタイプのパーキングブレーキレバーが時代を感じさせてくれる。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    篠原政明

    Masaaki Shinohara

    1958年生まれ。某自動車雑誌出版社をめでたく? 卒業し、フリーランスのライター&エディターに。この業界に永くいるおかげで、現在は消滅したものを含めて、日本に導入されている全ブランドのクルマに乗ってきた……はず。クルマ以外の乗りものもけっこう好きで、飛行機や鉄道、さらには軍事モノにも興味があるらしい。RJC会員。
  • 撮影 / 編集

    AUTOCAR JAPAN

    Autocar Japan

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の日本版。

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