なぜオープンカーは激減したのか SUVの影響? メーカーの見解 解決策は

公開 : 2019.06.05 19:10  更新 : 2021.10.22 10:18

オープンカー、最近あまり見ない気がしませんか? 60〜80年代は次々と発売されましたが、今は展開そのものが少ないし、事実、売れていません。SUVのせい? 解決策は?

text:Yoichiro Watanabe(渡辺陽一郎)

もくじ

60〜80年代 オープンモデルが次々と発売
ロードスターの販売推移でわかるオープンモデルの衰退
なぜオープンモデルは減ったのか 関係者の証言
SUV人気 楽しいクルマが衰退する予兆?

60〜80年代 オープンモデルが次々と発売

いきなり昔話で恐縮だが、1960年代から1980年代の日本車には、オープンモデルが豊富だった。

1962年に発売された「Z」に発展する前の日産フェアレディは、ソフトトップを備えたオープンモデルで、1963年に発売されたホンダS500も同様だった。1965年のトヨタスポーツ800は、ハードトップを脱着できた。

当時はトヨタ・ヴィッツのルーツともいえるパブリカ、ダイハツコンパーノスパイダーなど、セダンをベースにした求めやすい価格のコンバーチブルも選べた。

1980年代に入るとオープンモデルも多様化して、1984年にはコンパクトカーの初代ホンダシティがカブリオレを設定する。

1986年にはマツダがコンパクトな初代フェスティバを発売して、ソフトトップがスライドする電動キャンバストップが人気を呼んだ。

これを切っ掛けにキャンバストップがブームになり、1986年には軽自動車の5代目三菱ミニカ、1987年には初代日産マーチなども設定している。

1986年にはマツダの6代目ファミリアにもカブリオレが用意され、日産エクサはリアゲートを脱着可能なキャノピーにしてオープンドライブを楽しめた。

また当時は三菱ジープからの流れでオフロードSUVにもソフトトップが多く用意され、2代目スズキジムニー、初代いすゞ・ビッグホーンなどでも選択できた。

そして1989年には、マツダ・ユーノスロードスターが登場して、一躍人気車となる。1999年にはオープンスポーツカーのホンダS2000とトヨタMR-Sが相次いで発売された。

さらに2000年代に入ると、2001年に電動開閉式ハードトップを備えた4代目トヨタ・ソアラ、2002年には軽自動車に同様の電動ハードトップを装着した初代ダイハツ・コペンが発売されて話題になった。

ところが2000年代中盤以降になると、オープンモデルが急速に衰退するのだった。

記事に関わった人々

  • 渡辺陽一郎

    Yoichiro Watanabe

    1961年生まれ。自動車月刊誌の編集長を約10年間務めた後、フリーランスのカーライフ・ジャーナリストに転向した。「読者の皆様にケガをさせない、損をさせないこと」を重視して、ユーザーの立場から、問題提起のある執筆を心掛けている。買い得グレードを見極める執筆も多く、吉野屋などに入った時も、どのセットメニューが割安か、無意識に計算してしまう。

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