失敗に終わった高級車ブランド 29選(後編) 歴史に残る「しくじり」

公開 : 2025.01.26 18:25

ISO(1938年~1974年)

オートバイ、バブルカー、そしてIR 300。後者はマセラティフェラーリをターゲットとした高級GTカーであった。IR 300のボディはベルトーネが描いた芸術品であり、最高出力300psのシボレーコルベットV8エンジンを搭載していた。次のモデルであるグリフォを発表して間もなく、GMはエンジン使用の前払い金を要求したが、ISOにはまだ余裕がなかった。

激しい競争と1973年の石油危機が重なり、ISOは経営難に陥り、1974年に閉鎖された

ISO(1938年~1974年)
ISO(1938年~1974年)

ファセル・ヴェガ(1939年~1964年)

ファセル・ヴェガは、シムカ、パナール、ドライエ向けにプレス加工された鋼鉄部品と車体を製造していた。自社ブランド初のモデルであるFVは1954年に登場し、速さとスタイリッシュさを兼ね備えていた。ファセル・ヴァガはクライスラーのエンジンを使用していたが、後に4気筒エンジンが提供されていないことを理由に切り替えた。次に登場した1960年のファセリアは、タルボ・ラーゴの元エンジニアが設計した1.6Lエンジン搭載の小型車である。

しかし、このエンジンはフランスにおける厳格な馬力課税制度に準拠する必要があったため、内部構造の再設計が必要となった。その開発はうまくいかず、故障が頻発することに。その後、ボルボB18エンジンが代替品として導入されたが、時すでに遅し。アフターセールス部門には電話が鳴りっぱなしで、同社は製造したクルマすべてで赤字を出したようである。結局、1964年にその歴史に幕を閉じた。ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネルなど、高級品ブランドで有名なフランスが、なぜ長続きする高級車ブランドを生み出せないのか、今でも謎である。

ファセル・ヴェガ(1939年~1964年)
ファセル・ヴェガ(1939年~1964年)

インペリアル(1955年~1975年、1981年~1983年)

インペリアルという名称は、1926年にクライスラーの高級モデルに初めて使用されたが、1955年にはGMのキャデラックフォードのリンカーンをライバルとする独立ブランドとなった。2代目モデルが投入される頃、品質管理が甘く、スピード重視で製造されたために不具合が頻発した。

その後、1970年代には、ブランド規模が小さすぎて高級車用のプラットフォームを独自に開発する資金がなく、クライスラー・ニューヨーカーのプラットフォームを使用せざるを得なくなった。これはブランドイメージに影響を与え、燃料費の高騰も追い打ちをかけた。インペリアルは1975年に廃止されたが、1981年から1983年にかけて短期間復活している。

インペリアル(1955年~1975年、1981年~1983年)
インペリアル(1955年~1975年、1981年~1983年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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