失敗に終わった高級車ブランド 29選(後編) 歴史に残る「しくじり」
公開 : 2025.01.26 18:25
エドセル(1956年~1959年)
エドセルは高級車ブランドだったのだろうか? そうとも言えるだろう。比較的手頃な価格で手に入る、フォードの考える贅沢なクルマだった。リンカーンとマーキュリーの間に位置づけられ、GMのビュイックやポンティアックと直接競合するものであった。エドセルには革新的な技術と未来的なデザインが満載されていたが、それでも一般の人々にはなかなか受け入れられなかった。
エドセルにまつわる物事すべてが奇妙で、クルマのデザインや、発売前からフォードの経営陣がすでに興味を失っているように見えたこともその1つだ。製造品質も低かった。さらに、1958年の「アイゼンハワー不況」により、クルマの販売台数は急落した。3年で11万8287台の販売にとどまり、フォードは撤退を決定した。

ジマー(1980年)
ジマーが手掛けていたのは、1980年代のフォード・マスタングを1930年代風のスタイルにドレスアップするというものだった。ニッチな分野であり、販売台数が少なかったため、同社は1988年に倒産した。その後1996年に買収され、2020年に廃業するまで年間10~20台のペースで生産を続けていた。このような一風変わったブランドによくあることだが、今でもジマーには熱狂的なファンが少なからずいる。
メルクール(1985年~1990年)
1983年までに、米国では若い世代の消費者がBMW 3シリーズやメルセデス・ベンツ190Eといったドイツ製のスポーティなコンパクトカーに熱狂していることがますます明らかになっていた。ボブ・ルッツが主導するフォードの対応策は、ドイツで生産されたフォード車を米国市場向けにドレスアップし、新しいブランド「メルクール(Merkur)」で販売するというものだった。
最初のラインナップはメルクールXR4Tiで、ベースとなったのはフォード・シエラXR4iだ。しかし、米国の規制により、オリジナルの2.8L V6エンジンから2.3L 4気筒エンジンに変更されている。次に発売されたのはスコーピオで、西ドイツで生産されたが、わずか2年間というフォード傘下のモデルとしては極めて短命に終わった。さらに悪いことに、ドイツ通貨高により、米国での車両価格が上昇したほか、米国の新しい安全規制により高額な改良を余儀なくされた。フォードは1990年にメルクールを廃止した。

アマティ(1991年~1992年)
トヨタにはレクサス、日産にはインフィニティ、ホンダにはアキュラがある。マツダは高級ブランドとしてアマティを立ち上げた。しかし、参入はかなり遅く、日本でバブルが崩壊した時期と重なったため、経費削減が喫緊の課題となった。アマティは1991年に発表されたが、そのわずか1年後に計画中止。最初のモデルとしてアマティ500を予定していたが、これは1992年に欧州でマツダ・クセドス6として発売された。米国向けのアマティは、1995年にマツダ・ミレーニアとして発売された。