ヴィンテージ・サウンドに包まれる タルボ・ラーゴT26 GSL パリ製の4.5L直6 前編

公開 : 2022.07.23 07:05

今はなきフランスのメーカー、タルボ・ラーゴの遺作の1つとなったT26 GSL。英国編集部が貴重な1台をご紹介します。

低価格化と技術革新に揉まれたブランド

最後にひと花咲かせようと、考える人は少なくない。誇り高きフランスの上級ブランドも、そんな願いを抱いたのだろうか。

低価格化と技術革新という、1950年代の変化に揉まれた多くの自動車メーカー。モデル開発に当てられる予算は限られ、既存モデルへの需要は低調。ドライエやホッチキスなどは、1960年代を迎えることができなかった。戦後のブガッティも経営に苦しんだ。

タルボ・ラーゴT26 GSL(1953〜1955年/欧州仕様)
タルボ・ラーゴT26 GSL(1953〜1955年/欧州仕様)

1903年創業という歴史を持つタルボ・ラーゴも、状況は同じだった。大排気量エンジンを搭載するラグジュアリー・ブランドとして、政府の意向もあり持ちこたえていたけれど。

1946年、フランスは国内22社の自動車メーカーが生産する、車種や台数などの枠組みを制定。タルボ・ラーゴには、新モデルのレコードT26を製造し、輸出することが許された。

当時の国内には、45台のタルボ・ラーゴが既に走っていた。ガソリンは配給制で、タイヤですら入手が難しい時代。税金も高く、自国内にはまだ充分な需要が存在しなかった。

タルボ・ラーゴ・レコードT26には、シトロエンのフラッグシップ・モデル、15シスの4倍に当たる120万フランの価格が付いていた。2ドア・コーチかカブリオレ、4ドア・サルーンというボディタイプを選択できた。

自社内でデザインされた美しいボディを、160km/h以上のスピードまで加速させたのが、4.5Lの直列6気筒エンジン。最高出力は172psを誇り、当時のフランス製自動車ユニットとしては最強だった。ブレーキには油圧システムも採用されていた。

ル・マンの総合優勝も掴んだ名エンジン

フランスの上級ブランドの首を絞めたのが、エンジンの排気量と回転速度をベースに算出された馬力税。4.5Lエンジンのタルボ・ラーゴには、シトロエンのフラッグシップの4倍近い税金が掛けられた。

そんな厳しい政策が取られた理由は、国内の自動車産業を守るため。アメリカの巨大メーカーに対し、自動車販売を規制することが本来の目的だった。

タルボ・ラーゴT26 GSL(1953〜1955年/欧州仕様)
タルボ・ラーゴT26 GSL(1953〜1955年/欧州仕様)

しかし、歴史あるブランドを追い込むことにも繋がった。タルボ・ラーゴが、1956年にパリ郊外のシュレーヌ工場で生産したクルマは、1週間に1台以下。1950年の433台を頂点に、1951年は34台へ急減。1953年には17台まで落ち込んでいた。

1959年にフランスの自動車メーカー、シムカがタルボ・ラーゴを買収するが、開店休業状態に近かった。フランス人のクルマに対する考え方にも、大きな影響を及ぼした。

それより以前、1935年から1959年に経営権を握っていたのが、アンソニー・トニー・ラーゴ氏。彼のもとで生産されたモデルに関しては、正確な情報を掴みにくい。

少なくとも、今回ご紹介するT26 グランド・スポーツ・ラーゴ(GSL)が、パリで作られた最後のモデルの1つではある。生産期間は1953年から1955年までで、台数は19台か21台とされている。

動力源は、トニー・ラーゴとカルロ・マルケッティ氏が設計した低回転型の直列6気筒エンジン。基本設計は古く、戦時中のグランプリマシンにも搭載されていたユニットで、ル・マンの総合優勝も掴んでいる名機だった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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