ベクターM12 – 1995年

ランボルギーニディアブロと同じ最高出力500psの5.7L V12エンジンを使用することで、M12はスーパーカー界でのスターダムを駆け上がる理想的な足がかりとなるはずだった。しかし、そのルーツには多くの問題を含んでいた。

M12の開発途中で、ベクターはランボルギーニの親会社メガテック社による敵対的買収の対象となったのだ。開発は続けられたが、デザインを巡る訴訟により、マクラーレンF1に携わったピーター・スティーブンスが再設計することになった。

ベクターM12 - 1995年
ベクターM12 – 1995年

ドラマチックな外観と最高速度300km/hという性能にもかかわらず、兄弟会社のランボルギーニに注目を奪われてしまった。レース仕様を含めてわずか17台が製造された後、1999年にベクターは消滅した。

アルファ・ロメオ166 – 1996年

アルファ・ロメオ166と、その主要なライバル車との間の際立った違いを理解するには、販売台数を見ればよい。150万台近くを売り上げたBMW 5シリーズに対し、166は10万台にも満たなかった。印象的な外観と活気のあるエンジンも、アルファ・ロメオの信頼性、品質、手放すときの価格下落を懸念する購入者の気持ちを変えることはできなかった。

2003年の改良でさらにパワフルなエンジンを導入したものの、販売を助けるにはあまりにも不十分で、時期も遅すぎた。本国イタリアでも、高級セダンとしてはアウディ、BMW、メルセデスを好む傾向があった。

アルファ・ロメオ166 - 1996年
アルファ・ロメオ166 – 1996年

ホンダ・ロゴ – 1996年

多くの点で、ロゴは1990年代半ばのホンダの最高傑作である。何しろ、信頼性が高く、維持費の安いクルマだ。ライバル車が故障するような状況でも、確実に走り続けるその能力は賞賛に値するものであった。しかし、ロゴの販売台数には、こうした要素はまったく反映されなかった。

紙の上では完璧でも、運転に楽しさを一切求めない人以外には選ばれないほど、退屈で面白みのないクルマだった。ロゴは1996年に登場し、2000年からは英国市場でも販売を開始したが、わずか9か月後の2001年に撤退している。

ホンダ・ロゴ - 1996年
ホンダ・ロゴ – 1996年

ルノー・スポール・スパイダー – 1996年

ルノー・スポール・スパイダーには主に2つの問題があったが、フロントガラスの有無は関係ない。スパイダーが直面した最大の問題は、一方ではロータス・エリーゼ、他方ではポルシェボクスターであった。1990年代半ばに急速に拡大したオープンカー市場において、エリーゼは徹底的に無駄を省いた面で群を抜き、ボクスターは類まれな威厳とスタイルを備えていた。ルノーは、この2台の間に挟まれる存在であった。

スパイダーの苦戦は、ウィリアムズが供給した2.0Lエンジンの最高出力152psという平凡な性能も原因の1つだ。0-97km/h加速7.4秒、最高速度200km/hという性能は、この種のスポーツカーとしては見劣りするものであった。とはいえ、生産後期までフロントガラスが装備されていなかったため、そこまで高速で運転するドライバーはほとんどいなかった。 結局、アルピーヌのディエップ工場から出荷されたのは1800台のみである。

ルノー・スポール・スパイダー - 1996年
ルノー・スポール・スパイダー – 1996年

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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