【キャンピングカー『種車』事情】フィアット・デュカト・ベースの高級モデルが人気!背景にハイエース長納期も

公開 : 2025.02.04 11:45

アジア最大規模の『ジャパンキャンピングカーショー2025』が開催されました。20回目を迎える今年は、過去最多の183社から合計423台が出展して大盛況。ここでは『種車(たねしゃ)』として注目を集める、フィアット・デュカトについて桃田健史が解説します。

過去最多の183社から合計423台が出展

アジア最大規模の『ジャパンキャンピングカーショー』(2025年1月31日〜2月3日、於:千葉県幕張メッセ)が開催された。20回目を迎える今年は、過去最多の183社から合計423台が出展して盛況だった。

開催初日に各ブースを巡ると、よく耳にしたのは『種車(たねしゃ)』という言葉だ。日本車ではトヨタ『ハイエース』や日産『キャラバン』、そして輸入車ではフィアットデュカト』である。種車の詳細については後述するとして、まずはキャンピングカー業界の実状から紹介しておこう。

アジア最大規模の『ジャパンキャンピングカーショー』が1月31日〜2月3日に幕張メッセで開催。
アジア最大規模の『ジャパンキャンピングカーショー』が1月31日〜2月3日に幕張メッセで開催。    桃田健司

今年のテーマは『GO RVing~キャンピングカーで人生に彩りを』。日本ではキャンピングカーという名称が当たり前だが、実はグローバルではRV(レクリエーショナル・ビークル)やモーターホームと呼ばれることが多い。キャンピングカーは日本業界での造語だ。

ここ数年で、多くの人がキャンピングカーの存在を認識するようになった。レジャーはライフスタイルの多様化に加えて、コロナ禍で一気に注目されたリモートワーク、さらに全国各地の豪雨災害や能登半島地震などでの救援活動車として注目されるようになった。

さらに時代を遡ると、1970年代前半には、当時『ヤング』と呼ばれた若者層向けにトヨタ『ランドクルーザー』やスズキジムニー』がレジャー&スポーツというイメージで、キャンプもあわせて訴求された。キャンピングカーについては、キャンプ場運営者や観光事業者による法人需要が主で、個人所有はかなり限定的だった。

主流は『バンコン』だが『種車』不足が課題に

1980年代から1990年代、日本でも三菱パジェロ』が先導する形でRVブームが到来し、トヨタでも全国の販売店と協力して自前のオフロードコースを開設したが、群馬県の一部などを除いてほとんどが姿を消している。そうした本格四駆でのオフロード走行と同時進行するように、キャンプブームも何度か起こったものの、キャンピングカーの市場規模はけっして大きくはなかった。

2000年代に入ると、やっと市場全体の成長が軌道に乗り始める。日本RV協会が調査を開始した2005年時点で、市場規模は5万台。その10年後の2015年には9万5100台と倍増し、直近2024年は16万5000台まで右肩上がりを続けている状況だ。年間販売売上で見ると、2024年は1126億5000万円に達した。

また、現時点で、種類別のデータが公表されている2023年実績(1054億5000万円)の場合、合計1万2361台のうち、最も多いのが『8ナンバーバンコン(6743台)』、『8ナンバーキャブコン(2145台)』、『8ナンバー以外の軽キャンパー(757台)』などだ。バンコンとは、バン・コンバージョンのこと。コンバージョンするための、ベースのクルマ、つまり『種車』の主流はハイエースだ。

今回のショー会場でも、ハイエースの姿が目立った。ところが、ハイエースが現時点で、1年間半からそれ以上という長納期になっている。半導体不足など部品供給の遅れが原因とされているが、キャンピングカー製造メーカー各社関係者に直接話を聞いたが、トヨタ側から正式な納期は提示されていないという。そこで注目が集まっているのが、『デュカト』ベースのコンバージョンだ。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    桃田健史

    Kenji Momota

    過去40数年間の飛行機移動距離はざっと世界150周。量産車の企画/開発/実験/マーケティングなど様々な実務を経験。モータースポーツ領域でもアメリカを拠点に長年活動。昔は愛車のフルサイズピックトラックで1日1600㎞移動は当たり前だったが最近は長距離だと腰が痛く……。将来は80年代に取得した双発飛行機免許使って「空飛ぶクルマ」で移動?
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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