この1台がフォードを救った 奇跡の『1949年モデル』 開発経緯と歴史

公開 : 2025.07.05 18:25

旧型の改良を続けるも苦戦

その間、フォードは戦前のモデルにいくつかの外観上の改良を加え、販売し続けた。1946年時点のラインナップには、6気筒または8気筒エンジンとさまざまなボディスタイルから選べるデラックス・シリーズとスーパーデラックス・シリーズがあったものの、販売は低調で、財政は傾いていった。

スーパーデラックス
スーパーデラックス

フルサイズ車が廃止に……

新型の1948年モデルは、1947年の発売を目指して開発が順調に進んでいたが、ゼネラルモーターズから引き抜かれた幹部の1人、アーネスト・ブリーチ氏がフルサイズ車の発売延期を決定した。彼は、このような大きくて重いクルマは競争力がないだろうと懸念したのだ。

ただ、開発はすでにかなりの段階まで進んでいたため、いまさら中止するわけにもいかなかった。そこで、このプロジェクトはフォードのマーキュリー部門に引き継がれ、1949年に『エイト(Eight)』として発売されることになった。

マーキュリー・エイト
マーキュリー・エイト

……そして小型車もキャンセルに

小型車の開発も中止となった。コンシューマー・ガイド誌によると、この小型車のコストは、大型車よりもわずか17%しか安くないと判断されたのだという。当時の案としては、競合車よりも上位に位置付け、価格を低く設定して赤字覚悟で販売する、または開発を遅らせてコストを削減する、といったものがあった。

しかし、結果的には、小型車のデザインをフォードのフランス部門に委ね、『ヴェデット(Vedette)』として一から開発し直すことになった。この時点で、1948年モデルが間に合わないことは誰の目にも明らかであった。

フォード・ヴェデット
フォード・ヴェデット

よーい、描き方はじめ!

フォードは開発を加速するため、社内でデザインコンペを開催した。デザイン部門を率いていたボブ・グレゴリー氏(写真)、ジョー・オロス氏、エルウッド・エンゲル氏、ジョージ・ウォーカー氏、リチャード・カレアル氏、ボブ・バーク氏、ボブ・コト氏など、多くのデザイナーが参加し、さまざまなデザイン案を披露した。ここで誰が何を担当したか、そして優勝作品を誰が作ったかについては、現在も激しい議論の的となっている。

デザイン部門を率いたボブ・グレゴリー氏(本名:ユージン・テュレンヌ・グレゴリー)
デザイン部門を率いたボブ・グレゴリー氏(本名:ユージン・テュレンヌ・グレゴリー)

グレゴリー vs ウォーカー

コンテストに参加を希望するデザイナーは、90日以内に粘土製の1/4スケールモデルを提出する必要があった。審査員たちは1946年8月、カレアル氏の提案(ウォーカー氏の名義で提出)を採用した。この意外な結果に、デザイン部門トップのグレゴリー氏は激怒する。彼をなだめるため、フォードは第2回コンテストを開催し、今度は実物大のクレイモデルを要求した。グレゴリー氏とウォーカー氏だけが参加を招待されたが、制作作業はそれぞれ複数人で行われた。粘土で実物大のクルマを作るには、膨大な時間が必要だ。

クレイモデル(粘土模型)を作るデザイナーたち
クレイモデル(粘土模型)を作るデザイナーたち

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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