この1台がフォードを救った 奇跡の『1949年モデル』 開発経緯と歴史

公開 : 2025.07.05 18:25

ミシガンからワシントンへ

ヘンリー・フォード2世がフォードの社長に就任した際、1949年モデルの開発のために雇った人材の多くは、すぐに昇進していった。10人のウィズ・キッズのうちの1人であるロバート・マクナマラ氏(1916-2009、写真)は、なんと1960年に社長に就任している。それまでの社長は皆、創業者と同じ家系の人間だったことを考えると、これは大出世だ。

しかし、彼は社長の座に長くは留まらなかった。その同じ年にジョン・F・ケネディ大統領から国防長官に任命され、1968年までその職を務めた。1962年のキューバ危機では平和的解決に貢献したが、ケネディ、そしてリンドン・ジョンソン政権下で、ベトナム戦争への米国の関与を拡大した。

かつてウィズ・キッズと称された1人、ロバート・マクナマラ氏
かつてウィズ・キッズと称された1人、ロバート・マクナマラ氏

1949年モデルの現在

発売から70年以上経った今でも、フォードの1949年モデルはそれほど希少な存在ではない。前述のように、当時かなりの台数を販売していたからだ。ただし、改造や酷使されていない個体を見つけることは非常に難しいだろう。プロアマ問わず、何千台もの車両がホットロッドに改造され、野原や納屋で朽ち果ててしまった。走行はできても修理が必要な個体は1万ドル(約145万円)以下、無改造で、コンディションの良好な完成車の場合は2万5000ドル(約360万円)程度かかる。

ボディスタイルによっては人気が高く、木製サイドのワゴンモデルは10万ドル(約1450万円)近くで取引されることもある。また、車両の大半が米国国内に留まっているため、状態を問わず購入を検討している場合は、米国から探し始めるのがベストだろう。いずれにせよ、その過程で「ブルーオーバル」の歴史の一部に触れることになるのは間違いない。

ボディスタイルによっては高価で取引されることもある。
ボディスタイルによっては高価で取引されることもある。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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