M55ゼロエディションに乗って思った、光岡自動車の純粋な想い【新米編集長コラム#38】

公開 : 2025.07.13 11:45

世界で一番オロチに接してきた編集者

光岡自動車はM55のようなコンプリートカーを生産する『ミツオカ事業』、中古車を販売する『BUBU事業』、4輪&2輪輸入車を扱う『正規ディーラー事業』の3本柱となっている。

個人的にはやはり、ミツオカ事業が手掛けた2006年発表の和製スーパーカー、『光岡大蛇(オロチ)』が思い出深い。当時、スーパーカー雑誌ROSSOに所属していたため、その連載を担当するなど、『世界で一番オロチに接してきた編集者』を名乗る自信がある。

2006年に発表された和製スーパーカー、光岡大蛇(オロチ)。
2006年に発表された和製スーパーカー、光岡大蛇(オロチ)。    光岡自動車

オロチの走行できる車両が完成して試乗した時のこと。光岡自動車本社のある富山のカントリーロードが、かつて若き才能が集まって誕生したランボルギーニが拠点を置く、イタリアのサンタガタ・ボロネーゼと重なって見えたという原稿を書いた。

それはフェラーリへのカウンターとして、自分たちが思う理想のクルマを作ろうしたフェルッチオ・ランボルギーニらの想いと、スーパーカーを作りたいと願った光岡進会長(当時、現取締役相談役)を始めとした人々の想いに、純粋さという点において何ら変わりがないと思うからだ。

光岡のクルマに対して斜に構えている方に私は、「思っているよりも彼らはもっと純粋です」と言い続けてきた。言い換えるならば、彼らはクルマを心から愛しているのだ。

今回別の取材で一緒になった清水草一センセイに「どこのカーマニアが来たのかと思った」と言われたのだが(注:褒め言葉です)、確かに、このM55からもクルマ好きの雰囲気が強く伝わってくるではないか。

そんなオロチの頃と変わらぬ雰囲気や愛が感じられて、素直に嬉しく感じた。機会があれば、過去何度か訪れた富山の本社で、今度はM55が作られるところを見たいものである。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。
  • 撮影

    神村聖

    Satoshi Kamimura

    1967年生まれ。大阪写真専門学校卒業後、都内のスタジオや個人写真事務所のアシスタントを経て、1994年に独立してフリーランスに。以後、自動車専門誌を中心に活躍中。走るのが大好きで、愛車はトヨタMR2(SW20)/スバル・レヴォーグ2.0GT。趣味はスノーボードと全国のお城を巡る旅をしている。

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