ジャガーSS100「パイクロフト」(2) オリジナルのシャシーで復元 最後まで譲らぬ主張

公開 : 2025.09.21 17:50

グッドウッド初レースを快勝したワンオフ・ボディのSS100 XK120のデザインへ影響? フェンダーが隆起した斬新フォルム オリジナル・シャシーで復元 UK編集部が貴重なジャガーをご紹介

ボディは処分するつもりだった父

「1952年に、父はMG TDのシャシーへ流線型ボディを架装したこともありました。クルマの設計や修理のことには詳しい人でしたね」。ジャガーSS100「パイクロフト」の現在のオーナー、アレクサンダー・ファン・デル・ロフ氏が説明する。

父のドリーズが購入した時点で、SS100のボディは酷く手が加えられていた。ヘッドライトはフェンダー側へ移設され、リア側の形も変わっていた。シルバーストン・サーキット初のレースを勝利したジャガーだとも、聞かされていたという。

ジャガーSS100「パイクロフト」(1946年/ワンオフモデル)
ジャガーSS100「パイクロフト」(1946年/ワンオフモデル)    ジェームズ・マン(James Mann)

「今では、グッドウッドのことだったとわかりますね」。アレクサンダーが微笑む。父は英国製のレプリカボディへ換装し、通常のSS100と同じ姿へ戻したそうだ。

それでも、ポール・パイクロフト氏のボディは残されていた。「1990年に父は亡くなりましたが、ボディは処分するつもりだったようです。フェラーリ330GTのボディもそうでしたから。置く場所もなく、当時は価値があるわけではなかったので」

オリジナルのシャシーで復元するしかない

パイクロフトの要望へ応えたコーチビルダーは、判明していない。しかし、大戦で向上した航空機技術のおかげで、有能な職人は複数存在していた。ジャガーの専門家は、ロンドンの西、スラウに拠点をおいたジョン・コリンソンズ社ではないかと推測する。

そこには、航空機の開発をリードした技術者、ライオネル・ローソン氏が在籍していた。戦後の10年間に、ヒーレーなどを複数台手掛けている。

ジャガーSS100「パイクロフト」(1946年/ワンオフモデル)
ジャガーSS100「パイクロフト」(1946年/ワンオフモデル)    ジェームズ・マン(James Mann)

「デザインはかなりユニークで、自分は再現したいと考えていたんです。そして15年ほど前に、パイクロフトさんの物語を知りました。オリジナルのシャシーで、復元するしかないと思いましたよ」。アレクサンダーが回想する。

ジャガーをグッドウッドで走らせる意味

準備が整った2017年、彼はオランダ(ネザーランド)のコーチビルダー、ヒートブリンク・コーチビルディング社を訪問。アルウィン・ヒートブリンク氏へ、作業を依頼した。

目標は、もともとのパネルを可能な限り残すこと。「彼はオリジナル性を尊重する、素晴らしい職人です。エッジ部分は腐食していて、新しい部品を溶接せざるを得ませんでした。両側を別々の人が作ったかのように、左右で微妙に形は違っていました」

ジャガーSS100「パイクロフト」(1946年/ワンオフモデル)
ジャガーSS100「パイクロフト」(1946年/ワンオフモデル)    ジェームズ・マン(James Mann)

分解すると当初の塗装が見つかり、メタリック・シルバーも調色が可能になった。ボンネットはワンピース。今後のため、当時の塗装の一部はあえて残されている。

グッドウッドは、サーキット開設75周年記念のイベントとして、2023年のグッドウッド・リバイバルを設定。レストアは、これに間に合わせることになった。「ジャガーをそこで走らせることには、特別な意味がありました」。アレクサンダーが話す。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 撮影

    ジェームズ・マン

    James Mann

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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