XK120が真似た? ジャガーSS100「パイクロフト」(1) グッドウッド初レースで快勝
公開 : 2025.09.21 17:45
グッドウッド初レースを快勝したワンオフ・ボディのSS100 XK120のデザインへ影響? フェンダーが隆起した斬新フォルム オリジナル・シャシーで復元 UK編集部が貴重なジャガーをご紹介
もくじ
ーグッドウッドの初レースで勝利したSS100
ーXK120のデザインへ影響を与えた?
ートップギアのまま320km走らせて帰宅
ーフェンダーラインが隆起した斬新フォルム
ー最速ラップを刻み勝利 F3マシンへ乗り換え
グッドウッドの初レースで勝利したSS100
英国の自動車業界だけでなく、世界規模で大きな節目の1つになった1949年。その9月には、グレートブリテン島南部のグッドウッド・サーキットで初めてレースが競われ、10月には戦後初めてロンドン・モーターショーが開かれたのだ。
戦前の英国は、モータースポーツやモーターショーで、世界を牽引する立場にあった。2つのイベントの開催は、普段の日常が戻った象徴といえた。

ウェストハンプネット空軍基地は自動車コースへ改修され、1万5000人といわれる観衆が集まった。その中の1戦で勝利したのが、ポール・パイクロフト氏が運転した、変わった見た目のジャガーSS100だった。
それから1か月後、SS100の後継モデルとして、ジャガーはXK120を発表している。久々のロンドン・モーターショーで。同ブランドの専門家は、公にならない結び付きが2台にはあるのではないかと考えてきた。パイクロフト本人も。
XK120のデザインへ影響を与えた?
その推測は、XK120のデザインは、彼のSS100を真似たものではないかというもの。しかし、一般的には1940年代のBMW 328の影響が大きいといわれている。発表の1年前には、XK120のプロトタイプが形になっていたことも、写真に残されている。
いずれにしても、パイクロフトのジャガーが生んだインパクトは小さくなかった。グッドウッドの記念すべき初レースで、チェッカーフラッグを受けたのだから。当時の自動車雑誌、モータースポーツ誌は、トップ記事で扱ったほど。

1936年11月に2.5LエンジンのSS100を購入して以降、彼はレースへ積極的に挑んでいた。ライレー・インプを下取りへ出し、ロンドン・ピカデリーに拠点を置いたディーラー、ヘンリーズ社を通じて届けられていた。
SS100仲間へ手紙を送り、パイクロフトは情報を共有している。点火系のことや、スイス移住のため、スペアタイヤを2本組めるようアダプターを付けたことも。
トップギアのまま320km走らせて帰宅
1937年のスイスで開かれたヒルクライム・イベントで、パイクロフトは3位を獲得。翌年は英国でオーバーホールを受けるが、テスト中にエンジンが故障し、載せ替えられている。同時に、トランスミッションも新ユニットへ交換された。
作業が終わると、スイス北東のボーデン湖を目指したが、トップギアから抜けなくなったらしい。とはいえ、「山脈を越えつつ、トップギアのまま320km走らせて自宅へ戻りました。すごいクルマです」。と彼は書き残している。

その修理後に腕利きのワークショップと出会い、ボディの改造が始まった。両サイドのランニングボードが切断され、前後のフェンダーは彼の希望通りに変更された。
完成すると、フランス・パリから南岸ニースを目指すラリーへ挑戦。続けて、隣町のラ・テュルビーで開かれたヒルクライムを戦い、ワークス仕様のSS100へ勝利している。



















































































































