名車と振り返るアルファ・ロメオの歴史(前編) 誕生と発展、四つ葉のクローバー
公開 : 2025.11.08 11:25
最後の6C
最終型6Cは、シリーズ最大の2.5Lエンジンを搭載して1938年に登場した。シャシーは3サイズ用意され、最長のものは2500スーペル・スポルト(写真)に採用された。
アルファ・ロメオにとって6Cは第二次世界大戦前最後のモデルであると同時に、戦後初の量産車でもあり、1952年まで販売が続いた。

1900
戦後初のアルファ・ロメオ設計となった1900は、従来モデルと異なり、ライン生産方式と、ボディとシャシーが一体化したモノコック構造を採用した点が特徴だ。
従来よりも広い市場をターゲットとした1900はかなりの成功を収め、1950年から1959年にかけて2万台以上が生産された。

世界チャンピオン
F1世界選手権は1950年に創設された。アルファ・ロメオはたちまちF1を席巻し、7戦中6戦で優勝した。ジュゼッペ・ファリーナ氏がその年のタイトルを獲得し、続いてファン・マヌエル・ファンジオ氏が別のマシンで活躍した。
ファンジオ氏のマシンは159アルフェッタで、1937年に設計されたファリーナ氏の158の派生である。アルファ・ロメオは1951年シーズン終了時に一時的にF1から撤退した。その後復帰したものの、1950年代初頭に享受したような成功には至らなかった。

ディスコ・ヴォランテ
正式名称1900 C52のディスコ・ヴォランテ(「空飛ぶ円盤」の意)は実験的なスポーツレーシングカーで、1952年から1953年にかけてわずか5台が生産された。機械部品の一部は1900から流用されているが、スペースフレームシャシーと驚異的な空力性能を持つボディは、ミラノのカロッツェリア・トゥーリングとの共同開発によるものだ。
アルファ・ロメオとトゥーリングの協力関係は続き、8Cコンペティツィオーネをベースにした新型のディスコ・ヴォランテが2013年に発表された。3年後にはコンバーチブル版も登場した。

ジュリエッタ
アルファ・ロメオはこれまでにジュリエッタという名称を3度使用している。最初のモデルは1954年から1965年まで生産され、セダン、クーペ(写真)、ロードスターに加え、プロミスクアと呼ばれる極めて稀なステーションワゴンがラインナップされていた。
ほとんどのバージョンで1.3Lツインカムエンジンを搭載し、公道仕様では最大100psを発生。レース仕様では120psに達した。1961年にジュリエッタの生産は10万台を突破し、総生産台数は17万台を超えたとされている。























