名車と振り返るアルファ・ロメオの歴史(前編) 誕生と発展、四つ葉のクローバー

公開 : 2025.11.08 11:25

フレンチ・コネクション(フランスとの関係)

初期のダラック社との提携を彷彿とさせる形で、アルファ・ロメオは1959年からイタリアでルノー・ドーフィン(写真)、1962年からはルノー4のライセンス生産を行った。両モデルの生産は1964年に終了した。

ドーフィンの後継車であるルノー8は、アルファ・ロメオのティーポ103というプロトタイプと酷似していた。しかし、両車は機械的にまったく無関係であり(特にエンジン配置が異なる)、ティーポ103は量産化されなかった。

フレンチ・コネクション(フランスとの関係)
フレンチ・コネクション(フランスとの関係)

ジュリア・セダン

1962年から1977年まで生産された初代ジュリアのセダン(タイプ105)は、箱型のボディとは裏腹に優れた空力性能を備えている。

ほぼすべてのバージョンで1.3Lまたは1.6Lのガソリンエンジンを搭載しているが、1976年に登場した後期型はアルファ・ロメオ初のディーゼル乗用車となった。

ジュリア・セダン
ジュリア・セダン

ジュリア・クーペ

1963年には、ジュリア・セダンのプラットフォームを短縮した、クーペシリーズが発売された。エンジン排気量は1.3Lから2.0Lまで幅広く、モデル名には「GT」の文字を含むものが多かった。

アルファ・ロメオのモータースポーツ部門アウトデルタは、レース専用設計のGTAm(写真)を生産した。オランダ人ドライバー、トイン・ヘゼマンス氏は1970年、このマシンで欧州ツーリングカー選手権を制した。

ジュリア・クーペ
ジュリア・クーペ

2600

1962年から1968年まで生産された2600は、前身の2000を発展させたもので、アルファ・ロメオの6気筒エンジン搭載車の最後を飾った。

セダンは自社ボディ、スパイダー(写真)とクーペはそれぞれトゥーリングとベルトーネのボディを採用した。全体的に2600は大きな成功を収めることはできず、直接の後継車も登場していない。

2600
2600

スパイダー

ジュリアをベースにした各バリエーションの中で、最も長く生産されたのはスパイダーだ。ピニンファリーナがデザインを手掛け、1966年に発売。翌年公開の映画『卒業』ではダスティン・ホフマンが運転した(V8エンジンの音に置き換えられていた)。

発売初年度にこのような宣伝効果を得られるのは、メーカーにとって夢のような話だろう。しかし、アルファ・ロメオ自身も、1993年まで(何度か改良を加えつつ)生産し続けることになるとは予想していなかったはずだ。

スパイダー
スパイダー

33ストラダーレ

これはスポーツレーサーであるティーポ33の公道仕様車であり、「ストラダーレ」とはイタリア語で「公道」を意味する。バタフライドアと2.0L V8エンジンを備え、最高出力は230psに達する。レース仕様との出力差はわずか40psほどだ。

1967年末から1969年初頭にかけてわずか18台が生産された。現存する車両は800万ポンド(約16億円)以上の価値があると推定されている。

33ストラダーレ
33ストラダーレ

(翻訳者注:この記事は「後編」へと続きます。)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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