「長さ以外すべてを備えたリムジン」 トライアンフ:1300からドロマイト・スプリントへ紆余曲折(2)

公開 : 2025.11.23 17:50

BMWに並ぶメーカーだったトライアンフ ミケロッティの美ボディをまとう1300 トレドと1500へ分離進化 お手頃でも上質な内装 128psを発揮したスプリント UK編集部がサルーン4種をご紹介

ワンランク上のモデルといえたトレド

トライアンフ1300の小柄な後継モデル、トレドは「ヘラルド・オーナーが乗り換えるべき理由」が掲げられ、積極的に売り出された。1970年の発売当初は2ドアサルーンのみだったが、1971年に4ドアも追加されている。

英国では937.64ポンドと、お手頃でもあった。ヒルマン・アベンジャーへ接近した価格でありつつ、ワンランク上のモデルが手に入った。パンフレットでは、「驚くことに、トレドの値段はありふれたサルーンと変わりません」。と主張されていた。

トライアンフ・トレド(1970〜1976年/英国仕様)
トライアンフ・トレド(1970〜1976年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

今回のハニーサックル・イエローのトレドは、アンドリュー・バーフォード氏の1974年式。最初のオーナーは、銀行の支店長だったとか。リクライニング式シートにマッドフラップ、ゴム製フロアマットなどのオプションが、盛り込まれている。

同じボディシェルのままドロマイトへ

インテリアはシンプルな造形だが、雰囲気は上質。ダッシュボードには、本物のウッドパネルがあしらわれる。動力性能で注目を集めたわけではないが、ファミリーカーとしての役割は充分に果たした。ロードマナーを、バーフォードは冷静に説明する。

「パワステなどの新しい装備は当然なく、スローでソフト。タイヤも影響して、操縦性は現代のモデルと全然違います。濡れた路面では、テールが外に流れようとするんです。自分は、雨の日には絶対に乗りませんけどね」

トライアンフ・トレド(1970〜1976年/英国仕様)
トライアンフ・トレド(1970〜1976年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

他方、1300の別の後継モデルだった1500は、同じボディシェルにシングルオーバーヘッドカムの1854ccエンジンが与えられ、ドロマイトへ進化。1970年には生産準備が整っていたが、経営上の問題で、発売は1972年へ遅れることになった。

とはいえ、トライアンフの親会社、ブリティッシュ・レイランド(BL)は高性能モデルへ積極的でもあった。ドロマイト・スプリントは、1973年6月にデビューしている。

2.0Lから128psを発揮したスプリント

エンジンはコベントリー・クライマックス社製の16バルブで、1998ccから128psを発生。当初は135psが狙われたものの達成できず、サブネームは135ではなくスプリントに落ち着いたという。ブレーキとトランスミッションも、改良が加えられている。

最高速度は186km/hで、マルチバルブ・エンジンを積んだ量産車として世界初。アルミホイールとビニール製ルーフの標準化も、量産の英国サルーンでは初めてだった。価格は1786.84ポンド。アルファ・ロメオBMWの競合より、700ポンド以上安かった。

トライアンフ・ドロマイト・スプリント(1973〜1980年/英国仕様)
トライアンフ・ドロマイト・スプリント(1973〜1980年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

自信のあったBL側は、週250台の生産目標を設定。AUTOCARは「英国が道を指し示す」と絶賛し、別媒体は「お買い得なクルマとしてはジャガーに並ぶ」と伝えたほど。ジョヴァンニ・ミケロッティ氏のスタイリングは、古び始めていたが。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アンドリュー・ロバーツ

    Andrew Roberts

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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