歴代全GT-R集結!ファン感謝イベント『FOREVE“R”〜GT-Rファンは永遠に〜』日産本社ギャラリーで開催【会場写真200枚】

公開 : 2025.11.24 07:05

200台足らずで生産終了『幻のGT-R

1973年KPGC110型 スカイライン2000GT-R

『ケンとメリーのスカイライン』というキャッチフレーズで大人気となった4代目スカイライン。この4代目に設定された2000GT-Rは、ツーリングカーレースへの参戦がなかったことに加え、市販車も1973(昭和48)年1月からわずか4ヵ月、台数にして200台足らずで生産終了したため、『幻のGT-R』と呼ばれている。

4輪ディスクブレーキ化や吸気側エアダクトの装着など、メカニズム面は先代GT-Rより確実に進化。通常の2000GTシリーズとは異なるメッシュタイプの迫力あるフロントグリル、ワイドタイヤの装着を想定してフロント側にも追加されたオーバーフェンダー、当時は異例の裸準変備リアスポイラーといったエクステリアも注目を浴びたが、当時でさえ、その姿を路上で見かけるチャンスは、めったになかったという。

1973年KPGC110型 スカイライン2000GT-R
1973年KPGC110型 スカイライン2000GT-R    山田真人

平成元年に16年ぶりの復活

1989年BNR32型 スカイラインGT-R

8代目スカイライン(R32型)は1989(平成1)年5月に発売された。それから3ヵ月後の8月には、16年ぶりの復活となったGT-Rが登場し、大きな話題を呼んだ。

GT-Rのために専用設計された2.6L直列6気筒DOHCツインターボ『RB26DETT型』は、当時の国産車最強の280psを発生。駆動方式にはFRベースながら、路面状況に応じた電子制御で4輪に駆動力を配分する電子制御トルクスプリット4WDシステム、『アテーサE-TS』を採用している。

1989年BNR32型 スカイラインGT-R
1989年BNR32型 スカイラインGT-R    山田真人

サスペンションも4輪マルチリンク方式に一新し、セダン派生型のスポーツカーとしては世界トップクラスの運動性能を実現した。

このGT-Rは実戦でも活躍を見せ、1990(平成2)~1993(平成5)年の全日本ツーリングカー選手権(JTC)では、4シーズン29戦29勝0敗という完盤な戦績を残した。同様に、ベルギー・スパ24時間などの海外レースでも高い評価を得た。

量産車最速の7分8秒679を記録

2013年R35型 GT-RニスモNアタック・パッケージ

1988(昭和63)年に『スカイラインGT-R』が初めてドイツ・ニュルブルクリンク北コース(オールドコース)で走行実験して以来、すべてのGT-Rは、世界で最も厳しい走行条件をもつこのコースで鍛えられ、その成果を市場で評価されてきた。

2013(平成25)年、ニスモ・ロードカーのフラッグシップとして『日産GT-Rニスモ』が企画された際、それにはまず最高のクルマとしての評価が必要と判断。同年9月、公道走行も可能な専用オプションパックを装着したこのクルマで、S.ブエミ、M.クルム、A.ハーネ、田中哲也の4人のドライバーが各2ラップするタイムアタックを敢行する。

2013年R35型 GT-RニスモNアタック・パッケージ(右)
2013年R35型 GT-RニスモNアタック・パッケージ(右)    山田真人

そしてクルムが2回目の走行で当時の量産車最速の7分8秒679を記録し、同型車による前年の最速タイム、7分18秒を実に10秒近く上回った。

記事に関わった人々

  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。
  • 撮影

    山田真人

    Makoto Yamada

    1973年生まれ。アウトドア雑誌編集部からフリーランスカメラマンに転身。小学5年生の時に鉄道写真を撮りに初めての一人旅に出たのがきっかけで、今だにさすらいの旅をするように。無人島から海外リゾート、子どもからメガヨットと幅広い撮影ジャンルを持つ。好きな被写体は動くものと夕陽。

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