ランボルギーニ・ミウラSVで「ミニミニ大作戦」の舞台めぐる 

公開 : 2017.07.09 11:10  更新 : 2017.07.09 11:48

走る「伝説」

キッドストンは、すっかりミウラの魅力のとりこになっている。ユニークなロードスター・モデルのプロトタイプを含め、ミウラの極めて珍しいモデルの売買を仲介し、またミウラ・レジスター・ウェブサイトを立ち上げるだけでなく、彼は、60年代のスーパーカーを代表するユニークなミウラの歴史を完全解説する本を脱稿しようとしている。

彼は、夕食を摂る間に我々をからかいつつ、ミウラをめぐる俗説を正すことも含め、自分の研究の成果を披露してくれた。

「フェルッチオは、確かにセビリアで育つ有名な闘牛の名前が気に入ったものの、巷に流布しているように、ブリーダーであるドン・エドアルド・フェルナンデスの了解を求めたり、フェルナンデスにクルマを贈呈した事実はありません」

ミウラの歴代のオーナーには、ロッド・スチュワート、エルトン・ジョン、ロック歌手のジョニー・アリディ、そしてブラック・サバスのギタリスト、トニー・アイオミなどの有名人もいる。

けれども、フランク・シナトラは買っていないとキッドストンは主張する。

「工場の記録を徹底して調べたところ、それらしき名前はシナトラ博士しかなく、恐らくそれが俗説の生まれる原因になったのではないでしょうか」。野生のイノシシの革張りの話も全くの空想です」

高い標高は、朝まで安眠する助けにはならなかった。2台のミウラが筆者の泊まっている部屋の下に並んで駐車している。

その優雅な曲線が、埃と排気ガスに汚れ、少しくすんで見える。夜明けに眺めて楽しむのに、これ以上の光景はなかなかない。


その後、マルチェロ・ガンディーニがスタイリングを手がけた傑作を洗車していると、ミウラの横に立つ写真を撮るために国境警備隊の隊員と国家憲兵が戻ってきた。

慌ただしいツーリングを締めくくるため、イランの元国王がかつて所有し、現在は幸運なことにグシュタードの近くで保管されている究極のミウラ、すなわちミウラSVJを見せてもらうための計画を立てる。

豪華なスキーリゾートの北側にあるルートは、前日走ったルートと変わらないほど眺めが良いものの、サン・ベルナール山岳道路のスイス側の方が路面の状態は良い。

マルティニーに向かってE27号線を高速で北上する間、追ってきたのはオートバイだけだった。「1台のミウラで山岳地帯を走る以上に素晴らしいことはひとつしかない。それは、複数のミウラで走ることだ」

SVの後方斜め45度から眺める、センターロックを備えた幅広のカンパニョーロ・ホイールを覆うように力強く張り出したリヤウィングはいつまで見ていても決して飽きない。

代を重ねるごとにスタイリングが良くなるクルマは例外的だが、このSVがそうだ。ヘッドライトの前後にあった睫毛状のグリルがないものの、威厳があって粋な容姿は素晴らしく魅力的だ。


また、ジョルジェット・ジウジアーロがいつも主張していたように、ボディのデザインは、ホイールの側面とアーチの端を揃えた方が締まる。筆者にとって、オリジナルのP400は、特にリヤが横に張り出しすぎている。

カーチェイスを繰り広げながらスイスに入ると、特にきついコーナーから立ち上がる前にハンドルをロック位置から戻す時、ハンドルの戻りが奇妙に悪いのが明らかになる。

ただし、ノンアシストのラックのギヤ比が小さいため、ステアリングのフィーリングと重さは、速度が上がるほど改善される。重いシフト操作と同様、山間部を走ると問題が目立つものの、それでも、山道を下り、カーブが緩やかになっていくにつれて、理想にかなり近づく。

その場合も、シャシーが、加速にニュートラルに反応する。ミウラは、その技術チームが証明したいと熱烈に望んだレーシングカーとしての実績が足りないものの、少なくとも公道では、アンダーステアやオーバーステアなどを疑う余地もない。

「そんな経験をしたのは1度だけで、それも路面が濡れたコーナーでした」。これは、SVに乗り、彼らしくハイペースで2万km走ったキッドストンの言葉だ。

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