ランボルギーニ・ミウラSVで「ミニミニ大作戦」の舞台めぐる 

公開 : 2017.07.09 11:10  更新 : 2017.07.09 11:48

ブレーキだけは……

ブレーキだけは感心しない。ブレーキは反応がなく、強く踏んでもほとんど効かない。ヘアピンを次々と下った後でさえ、大型のガーリング製ブレーキディスクがフェード現象を起こす気配はないものの、それでも、信頼感が感じられない。

SVJのシャシー番号687は、伝説的なミウラの中にあってさらに伝説的だ。

「国王は、何か特別な車が欲しくて、そのための対価を支払う用意があった」1971年に標準仕様のSVを生産ラインから抜き出し、自分の開発した粋なイオタのスタイルに改造したウォレスは、そう回想する。

フロントとリヤのエアベント、そして風防カバーを備えた固定式ヘッドライト、レース仕様のフィラーキャップ、フロントオイルクーラー、チンスポイラー、そして1本式のフロントワイパーなど、あらゆる要素が、SVJの外見をさらに引き立てている。

ストレート・マフラーのせいで荷室の大きさが制限されているものの、エンジン音を猛々しい咆吼に変える。このSVJが現在スイスに保管されていることも一種の因縁だ。

というのも、国王は、メタリック・グラナダレッドのミウラにピレリのスタッドタイヤを履かせ、サンモリッツにある自分の別荘に新車で届けさせたからだ。

国王は、納車される前のSVJを入念に調べるようイランのシークレットサービスに命じたものの、テヘランに持って行くまで、アルプスでSVJを1度しか運転していないとウォレスは語る。

国王は、夜明けにニアヴァラン宮殿のガレージからSVJを出させ、武装したメルセデス6.9の軍団が追う中、荒涼とした高速道路で走らせたという。イラン空軍がメンテナンスのためにSVJを飛行機でイタリアに運んだという話も俗説に過ぎない。

1979年にイラン革命が起きた後、民衆は、国王の所有していた3000台の車と一緒にミウラを没収した。それ以降のオーナーには、映画スターのニコラス・ケイジも含まれる。

キッドストンSAが最近、イタリアのコレクターに売却したSVJは、現在、フォイターソアイのエリッヒ・ピヒラー氏が保管している。

ところで、SVJを身震いするほど速く走らせることのできる人物として、ランボルギーニから引退したばかりの同社テストドライバー、ヴァレンティーノ・バルボーニ氏以上の適任者はいないだろう。キッドストンは、彼の近刊に合わせて発売する特製DVDを撮影するためにバルボーニ氏をスイスから招いた。

彼が開発に力を注いだのはカウンタックだ。だが、当時18歳だったバルボーニ氏の心を揺さぶり、村の司祭に付いてサンターガタを訪れた際に仕事がないか問い合わせるきっかけになったクルマはミウラだった。


この顎髭を伸ばした感じの良い人物は、眩しいほど白いキャビンに乗り込み、いつもの癖で、何よりも先に自分の髪型をチェックする。

その間に、筆者がオドメーターを見ると、6000kmしか走っていない。バルボーニ氏は、完全にくつろいだ様子でミウラの中で最も高価なSVJのハンドルを握る。そして、峠の最高地点へとランボルギーニを加速させ、高速コーナーを楽々と駆け抜けて見せることで、楽しそうにお手本を示してくれる。

SVJの方がSVよりもわずかに馬力があるとしても、4本のマフラーからほとばしるその甲高い響きは、SVよりも圧倒的に速く感じる。

グシュタードへと向かう帰りの道は、クルマを取り換え、筆者が2台のSVを追う。

助手席に座るランボルギーニの専門家の中の専門家、バルボーニ氏の存在を意識し、この中毒性のある咆吼と執拗な加速の効果を満喫するため、低めのギヤで走りたい気持ちを抑え難い。

変速も、ステアリングも、ブレーキも、反応が鋭く、新車のように新鮮に感じる。山岳道路を黄昏に向かって2台のミウラを追いかけていると運転する醍醐味を感ずる。

だが、市街地のトンネルに3台で入る時こそ、最高の瞬間だ。3人のドライバー全員が減速し、2速に入れる。バルボーニ氏と筆者がお互いを一瞥し、にっこり笑ってパワーウィンドウのスイッチを同時に押す。

増幅された咆吼は信じられないほどで、出口に備えて減速するとマフラーからアフターファイヤーが勢いよく吹き出し、クライマックスを迎える。

3台のミウラが轟かせるサウンドは、まるでオペラのクライマックスのようだ。そのサウンドに浄化され、亡霊のように頭から離れなかったマット・モンローの歌声が完全に消えていた。

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