ゴードン・マーレー、「天才デザイナー」と呼ばれるまでの軌跡 新本社を訪問

公開 : 2017.11.11 10:10  更新 : 2021.03.05 21:29

ミンバグ 意外な誕生ストーリー

すでに南アフリカでT1を製作しレースにも出場していたマーレーは1960年代の終わりに英国にきたが、当時はほとんど金を持っていなかった。

まともなクルマが買えないマーレーは、同じ境遇の友達とともに自分で設計、製作することにした。4台を製作し(2台は友人と自分用、残り2台は販売用)、2台の販売で得た利益で自分たちのクルマの費用を賄う計画だった。そしてそれが上手くいった。

作業所はヒースロー空港の敷地内にある古い掘立小屋。「コンセントがひとつに電球が1個でしたね」とマーレーは回想する。

「それでも、毎日が楽しく、飛行機の騒音にもすぐ慣れました。最初のボーイング747ジャンボの着陸を見に表に飛びだしたのを覚えています。心躍る体験でした」

ミンバグはミニ・ベースで、したがって横置きのFFレイアウトだ。献体となったクルマはミニのバン。これを選んだ理由は、33ps/838ccのAシリーズエンジンを積んだランニング・ギアが実質本位だったこと、テールライトの形が好ましかったこと、それに1970年代にはバンが一般的だったことだという。

GMDのデザイン本社とプロトタイプ・センターが残っているシャルフォードに話を戻すと、われわれはボードルームで1時間半の間、模範的に整った48年前の設計図面を鑑賞していた。1970年6月のミンバグの誕生につながる設計図だ。

図面には手書きで、フラット・パネルを5枚の8フィート×4フィート(2.4×1.2m)の標準鉄板から切りだす方法が書いてある(マーレーは金がなかったので、複雑な形状はハナから諦めなければならなかった)。

この時点でわたしは、これは文字通り最初のマーレーiストリームカーだと思い至った。

スクエア・セクションのスチール・チューブの溶接フレームには(高コストで場所も食うスペースフレームはわざと使っていない)、接着されたフラットなスチール・パネルを取り付け、強度を生みだすとともに最大限のインテリア・スペースを稼ぎだす。

軽量化にも大きく貢献している。

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