【ツインカム・エンジンが放つ機能美】1928年製レーサー アミルカーC6 後編

公開 : 2020.04.25 20:50  更新 : 2020.12.08 11:05

公道向けに手直しされたレーサーは特別な魅力を放ちます。それは戦前のマシンでも同じ。ツインカムのアミルカーC6もまた、エキゾチックな輝きを持つ1台です。1928年生まれの貴重なマシンをご紹介しましょう。

もくじ

戦後も失われなかった高い評判
58年間手放さなかったハーディング
6000時間を投じて進めたレストア
フランスの生んだ小さな傑作

戦後も失われなかった高い評判

text:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
photo:Olgun Kordal(オルガン・コーダル)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
ビル・ハンフリーズの手を離れたアミルカーC6は、オリジナルに戻され、ツイン・キャブレターを得た。それも快調で、1934年には154km/hでサーキットを走った。その後のオーナーも、アミルカーで英国のイベントに出場している。

ドニントンに完成した新しいクリスタル・パレス・サーキットや、ブルックランズ・マウンテン・サーキットなど、アミルカーはイベント毎にチューニングを受けて参戦。エンジンは、こまめにリビルトされていた。

アミルカーC6(1928年)
アミルカーC6(1928年)

2台のアミルカーはロッキード社製の油圧ブレーキを備え、ワイドトレッドのフロントアスクルが用いられていた。クレイトンのC6は、1937年のブルックランズで195km/hを記録している。

第二次大戦中は倉庫に隠されていたが、アミルカーC6の走行性能の評判は、戦後も失われなかった。平和が訪れると、ロンドン南西のガレージオーナー、オーウェン・フィンチが2台ともに購入。ロードカーへと改造され、NPA 217とMPC 702のナンバーを取得した。

ダークグリーンの美しい塗装が施され、マッドガードは簡単に取り外せるように加工。戦後のレースイベントでは、クラス優勝を争う常連マシンとなった。

背の高かったフィンチは、コンパクトなドライバーズシートには収まり切らなかった。大きな体のおかげで、アミルカーはちっぽけに見えたが、プレスコットやブランドフォード・キャンプのコースを熱烈に攻めた。

58年間手放さなかったハーディング

1950年にフィンチは2台のC6を売却する。その内の1台、ハンフリーズが乗っていたC6は、ジョージ・フィッシャーが入手し、レースで活躍した。

1961年になると、直近のオーナー、バーナード・ハーディングがハンフリーズのC6購入。それ以来、58年間大切に乗ることとなった。

アミルカーC6と前オーナーのバーナード・ハーディング
アミルカーC6と前オーナーのバーナード・ハーディング

アルビス12/50より速い車を探していたハーディングは、アミルカーC6が売りに出ていることに気づく。手に入れた彼は、ビンテージ・スポーツカー・クラブのイベントへ積極的に参加した。

最初の週末は、シルバーストーン・サーキットを走ったハーディング。その時は、さらに2台のアミルカーC6と7台のERAが並んだ。

ハーディングのC6は、当初ハンドリングに難があったが、手直しを加えることで大幅に改善。オイル漏れも直し、80%メタノールの燃料を用いると、競争力はさらに高まった。

入手後は2年ほどサーキットやヒルクライムを走り、1963年にはブランズハッチでのイベントに参加。リアアスクルが破損するまで健闘するが、ハーディングはレースを休み、本格的なメンテナンスを決心する。

当初は冬の間にエンジンのリビルトをする計画だったが、完全なレストアへと予定を変更。忙しい仕事がハーディングの時間を奪ったが、1984年に退職すると、再び熱意はC6へと向けられた。

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