【麻薬と不正利用 ロータスの関与】デロリアンDMC-12 開発と倒産の裏話 後編

公開 : 2020.04.24 10:20  更新 : 2020.12.08 11:05

マーティとドックによって、一躍スター級のスポーツカーとなった、デロリアンDMC-12。斬新な新モデルへ関わった人たちのインタビューを、ご紹介しましょう。タイムトラベルが眼中になかったことは、間違いありません。

コーリン・チャップマンと試作車を運転

text:Richard Bremner(リチャード・ブレンナー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 

マイク・キンバリー ロータスCEO

当時のロータス・カーズは、デロリアンDMC-12の量産モデルの開発検討を依頼された。「夜のアリゾナで、エンジニアリングに関与できるかどうか、コーリン・チャップマンと試作車を運転しました」 と前ロータス社CEOのマイク・キンバリーが思い返す。

「フェニックス試験場での運転は、とても疲れました。サーキットに留めて走らせることも大変でした。車内は暑く息苦しく、基本的な形状としてはクルマでしたが、完成したモデルではありませんでした」

「エンジンは正しいものでしたが、パワー不足。とてもプロトタイプと呼べる状態ではなかったですね。かなり失望しました。自動車試験場という条件は、このクルマには適していないと判断しました。そこで翌日、高速道路を走らせました」

「ところが追い越し車線を走行中、燃料系統で故障しストップ。不名誉にも、警察車両に押して救援してもらったんです」

そんな経験にも関わらず、チャップマンとキンバリーは、ロータスでデロリアンの開発を進めることを決定。しかも、英国政府がジョンZデロリアンとが結んだ条件を満たすには、残り18カ月でクルマを完成させる必要があった。

「当時のロータスには、2つの技術者チームが存在していました。 VARI(真空補助樹脂注入)ボディとバックボーン・シャシーの開発に、382名が関わっています」 と話すキンバリー。

ロータスが望んだ、ガルウイングの不採用

チャップマンとキンバリーは、クルマの基本構造の一部を変更するため、ジョンZデロリアンを説得した。ハンドリングを向上させ、開発も容易にすることが目的だった。

最も強くロータスが望んだ内容は、ガルウイング・ドアを採用しないことだった。「代替案を提案しましたが、話が通じませんでした」 結果、リアエンジンとステンレス製のボデイのスポーツカーが完成した。

一方でキンバリーは、デロリアンの開発期間の短さを強調する。「まったく白紙の状態から、2年2カ月から4カ月の期間で、生産へと移行しています。これは自動車業界としては最速で、今も記録は破られていないと思います」

「プログラムとしては、ロータスにとっては大きな成果にもなりました。今まで目にしたクルマでベストといえるモデルでした。悪くない、妥当なクルマだったと思います」 と言葉を選ぶキンバリー。

「始めは好調でした。ですが1982年には、1台も売ることができませんでした。2度目のオイルショックです。トヨタですら、6億ドル(648億円)も失ったのです。アメリカではガソリンが手に入りませんでした」

しかも、オイルショック以前の1981年の半ばには、ディーラーは充分な新車を用意できずにいた。そこで工場はシフト体制を組んでボディと組み立てを進めていた。

ところが一気に景気は後退。ロータスとデロリアン社との関係も悪化し、1982年の8月には、英国政府からの資金も途絶えたのだった。

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