【家族代々のホットロッド】1934年製レオ・フライング・クラウドをレストモッド 後編

公開 : 2020.06.28 16:50  更新 : 2020.12.08 11:04

1934年製のレオは、現オーナーのアル・パークスが生まれる前から、70年以上も家族の一員。2度のリビルドを経て、新車時以上の状態を保っています。現代の交通事情にも対応できる、珍しい米国製クーペをご紹介しましょう。

芸術品のように丁寧なレオ社の仕事

text:Paul Regan(ポール・レーガン)
photo:Will Williams(ウィル・ウイリアムズ)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
「その時のレストアではキャビンを外し、フェンダーは地金が出るまで処理しています。1930年代の工場で施されたままの、鉛による後処理を発見しました。時間をかけて仕上げていった、職人技を思い返させるものでした」 レオ・フライング・クラウドのレストアを振り返る、現オーナーのアル・パークス。

仕上がりは、芸術品とも呼べそうだ。彫刻的に浮かび上がるボディのプレスラインは、ボンネット・サイドからキャビンのルーフにまで伸びる。フロントグリルの上部に伸びるラインは、頂上で融合し、独特のフロントノーズを形成する。

レオ・フライング・クラウド 170デラックス・クーペ(1934年)
レオ・フライング・クラウド 170デラックス・クーペ(1934年)

左右合わせて12本のエアベントが打たれたボンネット。小さなクロームメッキのハンドルで個別に開閉も可能だ。熱い日でも、268cu.in(4391cc)の直列6気筒の温度を高めすぎずに済む。

キャビンから長く伸びるテールは、クロームメッキのバンパー手前で緩やかに下降し、リアビューをまとめる。ランサム・エリ・オールズは、ヘンリー・フォードの量産ラインには負けたかもしれない。でも、レオ社の仕事は間違いなく慌てず、丁寧だ。

アル・パークスも、レストアは急がなかった。着実に現状復帰へと近づいていたが、ガレージでの作業は、仕事が忙しくなる度に中断した。アル・パークスは海外への移動が決まり、パークスとレオとの距離は一層遠くなった。

1990年代になると、レオは再び父のドン・パークスが管理するようになった。クルマの信頼性を高め、古い部品を再製造するには、エンジニアとしてのスキルが活きた。ランブルシートの乗降性を高めるステップも、作り直して取り付けられた。

10年のブランクと、英国への引っ越し

アル・パークスがアメリカに戻ったのは10年後。レストアの内容はすでに、時代を感じさせるものになっていた。数年間動かさずにいたため、ブレーキのシリンダーは固着し、燃料ポンプは壊れていた。

2速の半ATはギア比が短く、長距離ドライブには向いていなかった。完全に仕上がることがないままだったが、アル・パークスは毎年7月4日、地元の独立記念日のパレードにレオを参加させた。

レオ・フライング・クラウド 170デラックス・クーペ(1934年)
レオ・フライング・クラウド 170デラックス・クーペ(1934年)

そのころ、アル・パークスはレストアの内容に悩んでいた。家族の思い出の詰まった、宝物以上の価値を秘めたレオ。走りやすさを優先する、という方向性が正解に思えた。

「この決断には10年近くを要しています。オリジナルの状態を保つか、家族が利用するための信頼性を高めるか。家族3世代で話し合いました」 アル・パークスが説明する。

レオはそれまで、年に1度の旅行に出れば良い方だった。それでも、60年以上ともにいた時間が、家族としての絆を強くしていた。

レオ・フライング・クラウドは、静的に美しいクラシックカーから、一緒に行動できるファミリーカーにもなれる可能性を備えていた。父のエンジニアとしての才能が、オジリナル状態から一歩進んだレストアを可能にした。

2012年、アル・パークスは定年退職する直前に英国へと引っ越す。大西洋をまたいだレストアは、可能な限りオリジナルを保ちつつ、それ以上のリフレッシュを与えることが明確になった。

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