【オークションで4.5億円】フェラーリ550 GT1、高額落札 そのワケはヒストリーにあり FIA GT参戦マシン

公開 : 2020.08.24 06:50  更新 : 2021.10.11 09:34

フェラーリ550 GT1とは

プロドライブは、GTカテゴリーでは、フェラーリ、アストン マーティンとともに闘い、さらにはBARホンダにも関与してF1にも参加するという世界トップクラスのレース屋なのである。

そのプロドライブが作ったレース用のフェラーリ550マラネッロは、数多くの名前を持つ。

フェラーリ550 GT1プロドライブの内装。
フェラーリ550 GT1プロドライブの内装。    Remi Dergegen/RM Sotheby’s

最初に発表された時は550 GTOと謳われたが、参戦するレースのカテゴリー名からGTSとも名乗る。このほか単に550 GTと呼ばれることもあり、今回のRMサザビーズでは550 GT1と記されているので、ここでは「550 GT1」と称する。

550 GT1は市販の550マラネッロをベースに、プロドライブが徹底的にチューニングを施したもの。

排気量は6リッターまで拡大され、新たにクランクシャフト、コンロッド、カムシャフトがプロドライブで作られ600bhpを発揮。ギアボックスは、レーシング・マシンの定番といえるXトラック製のシーケンシャル6速を備える。

ボディは一見するとあまり変わっていないように見えるが、ワイドなタイヤを収めるために前後フェンダーは拡大され、空力性能を高めるためにフロント、サイド、リアを最適な形状に改め、大きな別体式のリア・ウイングが取り付けられた。

徹底的な軽量化により、市販の550マラネッロから550kgも削り落とされ、1140kgの乾燥重量を実現している。

素晴らしき戦歴 スパ24時間も制覇

こうして完成したS/N:CRD 02/2001(プロドライブのシリアル・ナンバー)は、2001年10月にロードアトランタで開かれたプチ・ル・マン・シリーズでデビューを果たすが、マイナートラブルでリタイアに終わる。

本領を発揮するのは2002年のFIA GT選手権。BMSスクーデリア・イタリアに託されて参加した7戦で3度の優勝を勝ち取るが、シリーズ・ランキングでは安定して入賞していたダッヂ・ヴァイパーの後塵を拝してしまった。

ベースは550マラネッロだが、低い車高とワイドなトレッド、空力を追い込んだディフューザーなど、その後ろ姿はレーシング・マシンそのもの。
ベースは550マラネッロだが、低い車高とワイドなトレッド、空力を追い込んだディフューザーなど、その後ろ姿はレーシング・マシンそのもの。    Remi Dergegen/RM Sotheby’s

続く2003年シーズンもBMSスクーデリア・イタリアから参戦し、10戦中8勝を挙げ、S/N:CRD 02/2001はモンツァで優勝、バルセロナ、マニクール、スパ、エストリルで2位に入り王者に輝いた。

伝統のル・マン24時間では、S/N:06がLM GTSクラスで優勝し、ル・マンで1974年以来のGTクラス優勝をフェラーリに捧げたことも見逃せない。

頂点に達したのは2004年で、モンツァ、バレンシア、スパ24時間、オシャスレーベンで優勝し、そのほかのレースでも表彰台を勝ち取り、この年のチャンピオンとなった。

しかし550 GT1の活躍を見たフェラーリは、2004年にファクトリー製レーシング・マシンの575 GTCを発売するという方向に舵を切る。

575 GTCの登場により、S/N:CRD 02/2001はFIA GT選手権から退き、2005年はイタリアGT選手権に闘いの場を移す。僚友のS/N:CRD 04/2001とともに575 GTCやマセラティMC12と渡り合い、8戦中6回の表彰台を獲得し、シリーズ3位でシーズンを終えた。

記事に関わった人々

  • 上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。

関連テーマ

おすすめ記事

 

フェラーリの人気画像