【新型ヴェゼル話題】空振りの初代ホンダHR-V 人気SUVに「化けた」背景

公開 : 2021.01.22 17:05  更新 : 2021.10.09 23:41

日本では売れなかった初代HR-V。しかしこのモデルがヴェゼルの大ヒットにつながったのかもしれません。

日本と海外 2つの名前

text:Kenichi Suzuki(鈴木ケンイチ)
editor:Taro Ueno(上野太朗)

2021年春の発売が予告され、話題を集めるホンダのコンパクトSUV「ヴェゼル」。このモデルは日本だけではなく、世界市場でも「HR-V」の名称で販売されている。

そして、この「HR-V」という名称は「ヴェゼル」が初めて使うわけではない。実は「ヴェゼル」誕生の2013年から10年以上も前に初代モデルが存在していたのだ。そのため海外では現行の「HR-V(ヴェゼル)」は第2世代と認識されている。

ホンダHR-V(初代)
ホンダHR-V(初代)    ホンダ

海外では「HR-V」、日本では「ヴェゼル」という2つの名称が使い分けられた理由は明らかにされていない。

日本では初代「HR-V」と「ヴェゼル」の関係は、何も説明されていないのだ。ちなみに初代「HR-V」のモデルライフは、1998年から2006年。一方の「ヴェゼル」は2013年に発売開始となっている。

その間には1世代分の時間の断絶があるし、「ヴェゼル」のプレスインフォメーションには「新しい時代のスペシャルティーカーをつくりたい」と説明されるように、初代「HR-V」との関連性には触れられていない。

では、初代「HR-V」と現行「ヴェゼル」の間に関連性はないのだろうか?

そこで日本市場では1世代限りで消えてしまった「HR-V」は、どんなクルマだったのかを振り返りたい。

「新しいジャンルのクルマ」

初代「HR-V」が誕生したのは1998年9月。「J・ムーバー」シリーズの第2弾としてのデビューであった。

「HR-V」の意味は「Hi-rider Revolutionary Vehicle」の略。「J・ムーバー」シリーズとは、ホンダのリリースによると「いままでにない『楽しさ=ジョイフル』を提案する楽しさ創造車」とあり、その第1弾が同年4月に登場している「キャパ」であった。

ホンダ・キャパ
ホンダ・キャパ    ホンダ

「キャパ」は背の高いコンパクトカーで、同時代に人気を集めたマツダの初代「デミオ」や日産キューブ」のライバルとなったモデル。

今となっては、室内空間を最大限にしたハイトワゴンは珍しくはないが、当時としては新ジャンルとして注目を集めていた。つまり、「J・ムーバー」とは、従来にないジャンルを切り拓こうという当時のホンダの意気込みを形にしたシリーズだったのだ。

「SUVらしい」を拒否したHR-V

そんな「新しさ」を追い求めて生まれたのが初代「HR-V」だ。

そして、この初代「HR-V」は、当時の常識から飛びぬけたスタイルをしていた。まず大径タイヤを装着する。一見、SUV風なのだが、微妙にボディが上下に薄い。ハッチバックを無理やりSUV風に仕上げたような雰囲気であったのだ。

ホンダHR-V(初代)
ホンダHR-V(初代)    ホンダ

一般的にSUVといえば、背が高くてボリューム感たっぷり。力強くてたくましいというイメージが一般的だろう。

しかし、「HR-V」のコンセプトは、「既存のどんなカテゴリーにも属さない」である。ホンダは、SUVではなく「ジェット・フィール・ハイ・ライダー」と名づけた。

今となっては意味不明だが、とにかく一般的なSUVイメージを避けたかったのだけはよくわかる。その結果、「HR-V」のデザインは、よくいえばスタイリッシュ。悪くいえば、当時の常識から外れたものとなってしまったのだ。

ちなみに寸法は、全長3995×全幅1695×全高1590mm(3ドア)。プラットフォームは、コンパクトカーの「ロゴ」のものを利用し、最高出力106psの1.6Lの4気筒エンジンを搭載。駆動方式はFFと4WD。3ドアでデビューし、後に5ドアが追加されている。

記事に関わった人々

  • 鈴木ケンイチ

    Kenichi Suzuki

    1966年生まれ。中学時代は自転車、学生時代はオートバイにのめり込み、アルバイトはバイク便。一般誌/音楽誌でライターになった後も、やはり乗り物好きの本性は変わらず、気づけば自動車関連の仕事が中心に。30代はサーキット走行にのめり込み、ワンメイクレースにも参戦。愛車はマツダ・ロードスター。今の趣味はロードバイクと楽器演奏(ベース)。

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