サンビーム 3リッター・スーパースポーツ 初代オーナーは地上最速の男 前編

公開 : 2021.11.13 07:05  更新 : 2022.08.08 07:22

1925年のル・マン24時間レースで総合2位

鋳鉄製のモノブロックで、ロングストロークと半球型の燃焼室、角度の付けられたバルブ、ギア駆動のオーバーヘッドカムなどが特徴。クローデル・ホブソン社製のH42Aキャブレターを2基搭載し、最高出力91ps/3800rpmを発揮した。

1925年の発表時は、最高速度152km/hがうたわれていた。このサンビームでコータレンが目指したことは、1925年のル・マン24時間レースで競合のベントレーを破ること。

サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)
サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)

実際、2台の3リッター・スーパースポーツがサルテ・サーキットを周回。ジャン・シャサーニュ氏とサミー・デイビス氏がドライブした1台が生き残り、総合2位で目標を達成している。

1925年から1930年までの間に、サンビームが仕上げた3リッター・スーパースポーツは約300台。そのなかでもシャシー番号4001Gを持つ1926年式の1台は、セグレイブが乗っていたことで最も歴史的な価値が高いといえる。

シャシーはチャンネルセクション・フレーム。フロント・サスペンションは、当時としては一般的といえるビームアクスル式で、半楕円のリーフスプリングとハートフォード社製の調整式フリクション・ショックアブソーバーが組まれている。

リアは、先進的なトルクチューブを備えるリジットアクスル式。車軸前方に、片持ちタイプのリーフスプリングが備わる。

リアの長いスプリングは、レイアウト上での弱点。コーナリング時は、リアアクスルが過度に動くような印象を受ける。シャシーには走行時の負荷でヒビが入りやすく、4つのエンジンマウントも劣化していたが、専門家の手でレストア時に解決済みだ。

2kmも走らないうちにクルマと呼吸が合う

今回はこの3リッター・スーパースポーツで、ウィンダーミア湖へ立ち寄りたいと考えている。この湖は、水上最速記録に挑んだセグレイブが、33歳で命を落とした場所。人影の少ないサフォークの道路は、走行性能を確かめるのに理想的な環境にもなる。

3.0Lの直列6気筒エンジンは、当時としては非常にレスポンスが良い。軽快に吹け上がるだけでなく、低回転域でのトルクも充分。エグゾーストノートもたくましい。トランスミッションは、筆者が経験したビンテージカーとしては最高の1つ。

サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)
サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)

レバーはボディと太ももの間に伸び、コンパクトなHゲートを上下させる。動きは滑らかで、レシオも完璧。クラッチも楽しいほど扱いやすい。タブルクラッチのタイミングを掴みやすく、シンクロメッシュはいらないとすら思える。

ブレーキは四輪ともにドラムだが、制動力の立ち上がりには安心感がある。ウォーム・ナット式のステアリングラックは、大型バスのようにレシオがスロー。しかし感触はダイレクトで、コーナリングの自信は保たれる。

出発から2kmも走らないうちに、ビンテージ・サラブレットと呼吸が合うようになる。このクルマが過小評価されてきたと感じる。

ビンテージカーといえば、ベントレーがレジェンド級だが、サンビームも英国代表として多くの名声を残してきた。第一次から第二次大戦の間にも、英国勢として唯一グランプリレースへ出場した。その血統が、公道用モデルへ反映しているのだろう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

初代オーナーは地上最速の男 サンビーム 3リッター・スーパースポーツの前後関係

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