ヴォワザンC27 エアロスポーツ 壮観なアールデコ・スタイル 1台限りのクーペ 後編

公開 : 2021.12.18 07:06

航空機メーカーとして創業したヴォワザンが残した、希少なクルマの1台がC27。英国編集部がご紹介します。

偶然に発見された特別なシャシー

1960年代以降、姿を消していたヴォワザンC27 エアロスポーツ。偶然にも、フランス人エンジニアのフィリップ・モック氏が救いの手を差し伸べることになる。ヴォワザンの美しいボディへ魅了された1人だ。

ヴォワザンのグランプリマシンをレストアする目的で、彼は専門家のロバート・サリオット氏から大量の部品を譲り受けた。それが収められていた倉庫に、リアを破損した特別なシャシーも含まれていたという。

ヴォワザンC27 エアロスポーツ(1934年)
ヴォワザンC27 エアロスポーツ(1934年)

それこそ、行方不明のC27 エアロスポーツだった。シャシーを発見し、モックは貴重なクーペの再構築を決心。ボディの詳細は不明で、ヴォワザンの愛好家づてに写真を探してもらったが、出てきたのは3枚のみ。それでも2004年に実行へ移した。

モックは、フィゴーニのカブリオレを含む戦前のヴォワザンに詳しい、職人のドミニク・テシエ氏へ作業を依頼。ボディの再制作に挑んだ。テシエと彼の協力者は、ヴォワザンに限らず、ファセル・ヴェガまで多彩な経験を持っていた。

これまで再生させたヴォワザンは、最初期のC1から最終モデルといえるC30まで幅が広い。ヴォワザン愛好家のモックも、オリエント急行より速いと呼ばれた1243ccエンジンを積んだC4やグランプリマシンなど、数台のレストアを既に頼んでいた。

テシエのチームは、まず事故で損傷を受けたシャシーを修正。ドライブトレインもリビルドを受けた。エアロスポーツのボディは、フレームのサイズと一致するように写真を拡大することで、プロポーションを割り出した。

アール・デコ調の生地を再生産

ボディで最初に作られたのが、滑らかな曲線で構成された特徴的なフェンダー。職人による手作業で、ハンマーで打ち出された。

続いて木材でボディ・フレームを形成。スライディング・ルーフの付いたキャビンが形作られた。モックがルーフラインに納得すると、ドアフレームをアルミニウム製パネルで復元。独特のサイドウインドウも再現された。

ヴォワザンC27 エアロスポーツ(1934年)
ヴォワザンC27 エアロスポーツ(1934年)

1930年代のヴォワザンを手掛けた経験から、テシエはボディ底辺に回る装飾の施されたエッジ部分やドアハンドルなど、エアロスポーツに施すべきディティールの知見を持っていた。ボンネットの斬新な開閉メカニズムも。

スライド式で開閉するルーフは、バキュームポンプによるもの。ヴォワザンが取得した特許の1つだ。

インテリアは、モックのアーティスティックなセンスが発揮されている。ジュネーブやバルセロナで展示されたオリジナルに合わせて、ブルーとホワイトで塗られた大胆なボディとコーディネートするべく、車内は華やかに仕立ててある。

何より目を引くのが、派手なグラフィックの生地。フランスのデザイナー、ポール・ポワレ氏によるアール・デコ調のものだ。ヴォワザンでは特長の1つになっており、初期のモデルにも採用されていた。

既に入手困難だったが、モックはこの生地を気に入っており、再生産してもらっている。当時の織り機を探し出し、本物と同様に布地が織られた。実際に仕上がったインテリアを目にすれば、思わず称賛したくなってしまう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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