マツダR100(1) ロータリーエンジンを我が物に 土台はファミリア 1200 世界へ証明した実用性

公開 : 2026.02.07 17:45

1960年代にロータリー技術を我が物にしたマツダ ファミリア 1200がベースのR100 不自然に見えるほど小柄なボディ RX-7の礎として確かな功績 希少なクーペをUK編集部が振り返る

1960年代に飛躍を見せた日本車

まったく新しいクルマ開発には、多くのメリットがある。まず、先代と比較されることがない。伝統に強く縛られることもない。まっさらな視点で目標達成を目指せ、合理的に市場の反応を評価できる。

1960年代に飛躍を見せた、日本車はその好例といえる。各国の自動車産業と、提供される量産モデルを冷静に俯瞰できた。成功例と失敗例を研究し、複雑さを排除した信頼性の高いクルマこそ、ユーザーが求めるものだと読み取ったといえる。

マツダR100(ファミリア・ロータリークーペ/1968〜1973年/英国仕様)
マツダR100(ファミリア・ロータリークーペ/1968〜1973年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

僅か10年ほどで、日本車は英国人にも浸透していった。当初は魅力で及ばなくても、訴求力は着実に上昇していった。欧州のメーカーに届かない技術力や存在感は、充実した装備や確かな品質などが生む、コストパフォーマンスが補った。

ロータリーエンジン技術を我が物にしたマツダ

そんな1960年代に、ロータリーエンジンは実用化を迎えていた。後に正式にマツダを名乗る東洋工業は、後のアウディ、NSU社からヴァンケルエンジン(ロータリーエンジン)の製造権を1961年に取得。程なく、技術を我が物にしていった。

NSU社が量産ユニットを完成させるより先に、マツダは実用化に耐える試作ユニットを完成。量産化されたロータリーエンジンは、信頼性が高く強力で、燃費も良かった。

マツダR100(ファミリア・ロータリークーペ/1968〜1973年/英国仕様)
マツダR100(ファミリア・ロータリークーペ/1968〜1973年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

マツダは、トヨタ日産とは異なるベクトルで、クルマ作りを展開していった。自動車文化を牽引する、海外の先駆者たちから注目や評価を得たいと考えていたのだろう。

その野望を明確に具現化した、前衛的なスタイリングをまとうコスモスポーツは、1967年に発売される。経営リスクを抑えるべく、一般的なレシプロエンジンの1000(初代ファミリア)や1500(初代ルーチェ)などを提供しながら。

ファミリア 1200がベースのロータリークーペ

マツダの存在感を一気に強めたコスモスポーツだったが、製造過程には手作業が多かった。より手頃な価格で、各国へ積極的に輸出することが求められた。

そこで誕生したのが、日本ではファミリア・ロータリークーペを名乗ったR100。ベースとなったのは、直列4気筒エンジンのファミリア 1200 クーペで、1967年の東京モーターショーではコスモスポーツと並んで、RX-85の名で試作車が披露されている。

マツダR100(ファミリア・ロータリークーペ/1968〜1973年/英国仕様)
マツダR100(ファミリア・ロータリークーペ/1968〜1973年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

ファミリア・ロータリークーペの発売は、1968年7月。フロントグリルやボンネット、バンパーが専用になり、丸いテールライトが4灯、リアに並んだ。ローターを模したエンブレムでも、差別化は図られていた。また日本市場では、サルーンも選べた。

上位モデルとして、海外ではRX-2を名乗ったカペラ・ロータリークーペも、1970年に発売。1971年にはサバンナ(RX-3)も登場し、コスモスポーツと併せて、ロータリーエンジンのラインナップは充実していった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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