時代の最高速モデル 1980年代 フェラーリF40 エンツォが遺した323.4km/h

公開 : 2022.04.24 07:05

クルマの性能を端的に表す指標の1つ、最高速度。過去100年間を振り返り、各年代の最速モデルをご紹介します。

過去にない速さを求めた徹底的な設計

自社の記念日を祝したF40は、綿密に練られたマーケティング主導の新モデルではなく、純粋に最高を求めた結果といえた。販売に陰りが見えていた1980年代、親会社のフィアットのもとで、ブランドが軟化することをフェラーリは恐れていた。

その流れを変えるため、不足なく高性能なモデルが求められていた。同社の技術者、ニコラ・マテラッツィ氏は、そのソリューションを実現できるのは自分だと信じていた。

フェラーリF40(1987〜1992年/欧州仕様)
フェラーリF40(1987〜1992年/欧州仕様)

彼の計画は、グループB用ラリーマシンを公道用モデルへ展開すること。マラネロの承認を得ると精鋭技術者を集め、2855ccのV8ツインターボ・エンジンを搭載した288 GTOを開発。さらに性能を追求した、288 GTOエボルツィオーネへと発展させた。

しかし、過激さを増したグループBカテゴリーは、1986年で終了。288 GTOはフェラーリの技術力を誇示することにつながったが、さらにそれ以上を披露する必要性が残された。

そして1987年、288 GTOと入れ替わるように誕生したのが、F40だ。V8ツインターボ・エンジンは288 GTOのものがベースだったが、排気量は2936ccへ拡大。過去にないほどハイテクで速いモデルになるべく、徹底的な設計が施された。

開発当初からキーワードになっていたのが、軽量化と空気力学。ピニンファリーナ社のレオナルド・フィオラヴァンティ氏の滑らかでシャープなスタイリングが、チューブラー・スペースフレームと接着された複合素材パネルで構成されたシャシーを包んだ。

エンツォ・フェラーリ氏が指揮を取った最後

スタイリングは風洞実験を重ね、空気抵抗を示すCd値は0.34。イタリア・ナルドにある高速周回コースで2万4000km以上のテスト走行を重ね、高速安定性が煮詰められた。そのうち、300km/hでの走行にも48時間を費やしている。

ボディは、ドアやボンネット、エンジンカバーなどが軽いカーボンファイバー製。その中心部へ、パワフルなV8ツインターボ・エンジンが搭載された。

フェラーリF40(1987〜1992年/欧州仕様)
フェラーリF40(1987〜1992年/欧州仕様)

1984年の288 GTOから大幅に性能向上を果たし、最高出力は485ps/7000rpmを獲得。高回転型ながら、最大トルクは比較的低めの4000rpmから58.7kg-mを発揮した。優れたアクセルレスポンスと、鋭い加速力を生み出している。

オイルサンプやシリンダーヘッドカバー、インテークマニホールド、ギアボックスのベルハウジングなどは、非常に高価なマグネシウム鋳造。軽さを追い求めた選択だった。

キャビンには走りに不必要なものは一切与えられず、備わるのは軽量なバケットシートと簡素なフェルトで覆われたダッシュボード、ドアハンドル代わりの細いベルト程度。その結果、車重は1235kgに仕上がっている。

開発の指揮を取ったのは、創業者のエンツォ・フェラーリ氏。自社の40周年に間に合うよう、生産体制の準備を要求したという。

F40が発売された1987年には、エンツォの健康状態が悪いことは知られていた。そして惜しくも、1988年にこの世を去ってしまう。

それを受け、彼の息が直接かかった最後のモデルとして、予定数の400台を超える需要が発生。1992年まで生産が続けられ、1315台のF40がマラネロを旅立った。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    オルガン・コーダル

    Olgun Kordal

    英国編集部フォトグラファー
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

時代の最高速マシン 100年を振り返る 1920年代から2010年代までの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事