空冷の水平対向12気筒+伝説のガルフカラー ポルシェ917K ル・マン連勝マシンに迫る 後編

公開 : 2022.05.07 07:06

ポルシェのル・マン常勝の礎を気づいたといえる、917。1970年と1971年の連勝当時を、英国編集部が振り返ります。

1970年シーズンに向けて917Kへ進化

1969年のル・マン24時間レースを、ポルシェ917で戦ったリチャード・アトウッド氏。エグゾーストからは、耐え難いほどの轟音が襲った。エンジンルームとコクピットを仕切る、バルクヘッドに対し頭をどこへ置くかにも、悩んだという。

「2時間も絶たないうちに、身体が痛くなりました。幸いにも、レースはドライ。ウェットだったら、早々にリタイアしていたでしょうね」。顔を歪めながら、アトウッドが記憶をたどる。

ポルシェ917K(1971年)
ポルシェ917K(1971年)

2人のドライバーは長い夜を耐え、21時間が経過した翌日の昼には6周ものリードを掴んでいた。しかし、不運にもギアボックスが故障。残り3時間というところで、917は走らなくなった。

「ポルシェのチームは、リタイヤでドライバーが落胆していると考えたようです。でも、わたしは疲れ果てていて、安心したというのが本音でしたね」。彼が笑う。

ポルシェは1970年シーズンへ向けてマシンに改良を加え、ショートテールの917Kへ進化。同時に、ロングテールのボディも開発された。アトウッドが続ける。

「ショートテールは、直線ではそれほど速くありませんでした。でも、見違えて安定していました。まったく別のクルマのように」

「1969年のストレートエンドでは、ミュルサンヌ・コーナー手前のカーブで減速が必要だったんです。ところが、1970年はユノディエールの一部になっていました」

アトウッドと、ペアを組んだハンス・ヘルマン氏とが1970年のル・マンで優勝したのは、ショートテールの917Kだった。今回、ソノマ・レースウェイへやって来たクルマも、同じボディを持つ。

慣性がないように回転数が跳ね上がる

このポルシェ917Kは、1971年の世界スポーツカー・チャンピオンシップでJWオートモーティヴ・エンジニアリング・チームが走らせた、シャシー番号15。ペドロ・ロドリゲス氏とジャッキー・オリバー氏がドライブした。

1971年のスパ・フランコルシャンでは優勝し、アルゼンチンのブエノスアイレスでは2位。ニューヨークのワトキンズ・グレンでは3位入賞も果たしてもいる。

ポルシェ917K(1971年)
ポルシェ917K(1971年)

その年にレースを引退し、1972年から1979年までは、ポルシェのヴァイサッハ開発本部でレース・タクシーとして活躍。要人などを助手席に乗せ、サーキットを走った。2009年からは、ポルシェ・ミュージアムが所蔵している。

アトウッド本人がドライブしたクルマではないが、ライトブルーとオレンジのガルフカラーが再現されている。917Kとして、これ以上ピッタリな配色はないだろう。

内装パネルのないコクピットは、エンジンが停まっていても物々しい。これほどのマシンの割に、イグニッションキーは小さい。つまんで1度ひねると、空冷の水平対向12気筒エンジンが、振動とともに爆発音を放ち出す。

軽くブリッピングしてみると、慣性がまったくないように回転数が跳ね上がる。チタン製のコンロッドにクワッドカム、ボッシュ社製の燃料インジェクションが組まれ、レスポンスは鋭敏だ。

今日の917Kはカットスリック・タイヤを履いていた。スペアタイヤはないそうで、本気でソノマ・レースウェイを攻め込むことはNGとのこと。恐ろしくて、とてもできないけれど。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ベン・バリー

    Ben Barry

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マーク・アーバノ

    Marc Urbano

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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