アメリカとドイツが牽引したターボ技術 伝説的モデルの立役者 ターボ! ブースト!(8) 知っておきたいその歴史
公開 : 2026.03.01 17:50
動力性能の追求が目的だった「ターボ」 FFハッチバックに四動のラリー・ホモロゲ、RRスポーツまで効果は抜群 技術の恩恵を最も享受したのは日本? UK編集部が各国代表7台のパワーを全開放
もくじ
ー古くから無駄が指摘されていた排気ガスの圧力
ーディーゼルトラックがターボ開発を牽引
ー1955年に量産が始まったギャレット・ターボ
ー大排気量化で勢いを失ったアメリカのターボ
ー枚挙にいとまがない伝説的なターボモデル
古くから無駄が指摘されていた排気ガスの圧力
今では普通のクルマにも載るターボの技術開発には、長い時間を要した。英国の技術者、フレデリック・ランチェスター氏は著書へ残している。「エンジン黎明期の頃から、排気ガスが大気より高圧力で放出されることが、無駄だと思われていました」
エネルギー量を考えると、排気ガスの損失は相当なものだった。内燃エンジンの出力は2倍へ引き上げられると、当時から考えられていた。

戦闘機のエンジンを早くから手掛けていたロールス・ロイスは、外気を取り込みつつ、排気ガスを噴出させ推進力を増す「エジェクター」技術で、特許を取得していた。速度を上昇させ、乱気流も抑えることができ、ターボには当初懐疑的だった。
しかし、敏腕技術者のジミー・エロル氏がロールス・ロイスへ就任。程なくして、過給器付きエンジンの開発が始まった。
ディーゼルトラックがターボ開発を牽引
他方、アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)は、ターボをいち早く研究していた。実験場は、パイクスピークの山頂。1921年10月16日、GE社製のリバティV12エンジンを積んだ、パッカード・ル・ペール複葉機が試験飛行に挑んでいる。
パイロットはジョン・アーサー・マクレディ氏。標高1万2400mという高度記録を樹立し、ターボの可能性は航空業界で広く知られることになった。ところが、平和な時代での進化は低調で、第二次大戦まではディーゼルトラックが開発を牽引した。

スイス人技術者のアルフレッド・ビュッヒ氏は、小さなターボを大型ディーゼルエンジンに搭載。性能の向上へ貢献している。この頃、ターボラグという言葉も生まれた。
第二次大戦が始まると、ガソリン不足の中、ドイツ空軍のヴェルナー・テオドール・フォン・デア・ニュル氏が新しいターボを設計する。タービンが回転ブレードの外周で排気ガスを受け、中央から排出させるという、現在の形状へ繋がるものだった。
1955年に量産が始まったギャレット・ターボ
放射状にブレードが並んだラジアルタービンの開発も、第二次大戦の集結までにほぼ完了。実験台に使われたのは、主にオペルの3.6L直列6気筒エンジンで、最高出力を32psから50ps程へ高め、成功と呼べる結果を得ている。
終戦後、ドイツ空軍に属した技術者はアメリカへ。フォン・デア・ニュルは経験を重視され、アメリカ空軍へ歓待された。そこで彼は、ドイツ初のターボジェットエンジンを開発した、ハンス・フォン・オハイン氏と知見を共有している。

1947年10月、ガスタービンの研究をしていたギャレット・エアリサーチ社の技術者、ホーマー・ウッド氏は、フォン・デア・ニュルたちへ相談を持ち込む。彼は以前からドイツ空軍のレポートを参考にしており、ラジアルタービンの採用が決まった。
これは、自動車のエンジンルームへ収まるほど小さく、効率的なターボが誕生するきっかけにもなった。アメリカ空軍は、ギャレット社へフォン・デア・ニュルを派遣。1955年にターボの量産が始まり、1959年までに2万2000基がラインオフしている。




























































































































