聞き飽きないV型12気筒 フェラーリ250 GTE モータースポーツを支えた2+2 前編

公開 : 2022.08.14 07:05

フェラーリ・レプリカを作るベース車両に

当時の自動車雑誌は、「素晴らしく輝かしいツーリングカー」だと250 GTEを評価した。ところが生産終了からしばらく経つと、取り引き価格は急落してしまう。

よりエキゾチックなフェラーリ・レプリカを作るベースとして、刻まれる例も少なくなかった。約2割は、その素材になったようだ。

英国のクラブ・ツアーイベントに集まったフェラーリ250 GTEと330 アメリカ
英国のクラブ・ツアーイベントに集まったフェラーリ250 GTEと330 アメリカ

一方で、熱心なフェラーリ・ファンの心を掴んでいたことも事実。近年は価値も充分以上に見直され、もはやレプリカのベース車両になる心配はないだろう。

英国でフェラーリの第一人者として知られるのが、ボブ・ホートン氏。取材へお邪魔した日、彼の自宅があるコッツウォルズには、2日間のクラブ・ツアーイベントに15台のクラシック・フェラーリが集っていた。

250 GTEは、シリーズ1が8台で、シリーズ2が2台、シリーズ3が3台揃った。さらに、エンジン違いでシャシーを共有した、250 GTEのアップデート版といえる330 アメリカも2台が来ていた。すべて、今でも威勢よく公道を走れる状態が保たれている。

1983年に、英国編集部が1度取材したクルマも含まれていた。右ハンドルのシリーズ1、3 DPXのナンバーを付けた250 GTEだ。記事では、グッドウッド・サーキットでアストン マーティンDB4と比較され、実用的で扱いやすいとまとめられている。

その当時は、新車のフォード・シエラと同等の価格で購入できたとも書かれている。驚くことに。

コレクションのきっかけとなった250 GTE

今回のホスト役となったのは、幼い頃からフェラーリに囲まれて育ってきた、スージー・ピルキントン氏。彼女の父親、スティーブン・ピルキントン氏は英国きってのコレクターで、これまで100台以上のフェラーリを所有してきた。

1962年のツール・ド・フランスで優勝を逃した、250 GTOも過去には手元にあった。レーシングドライバーのルシアン・ビアンキ氏が、ゴール手前で牛乳を運搬するトラックに衝突し、惜しくもリタイアしたクルマだ。

英国のクラブ・ツアーイベントに集まったフェラーリ250 GTEと330 アメリカ
英国のクラブ・ツアーイベントに集まったフェラーリ250 GTEと330 アメリカ

スティーブンは、そのフェラーリを21年間所有した後、手放している。それ以前には、250 LMもコレクションしていた。

長男のリチャード・ピルキントン氏が誕生した1971年には、250 GT SWBを購入。赤ちゃんを運ぶかごをシートの後ろに載せて、運転していたという。

スージーも、生まれた頃からフェラーリと一緒だった。1991年の大学入学前には、250 GT SWB カリフォルニア・スパイダーの古い塗装を剥がす作業を手伝い、お小遣い稼ぎをしたらしい。

スティーブンにとって、フェラーリのコレクションを始めるきっかけとなったのが、250 GTE。1970年に8年落ちのクルマを購入したことだった。シャシー番号は3883GTで、V12エンジンは白煙をあげ、フロアは思い切り錆びていたという。

しかし、レストアを経て現在はすっかり快調。スージーとリチャードが乗り継いでいる。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジェームズ・ページ

    James Page

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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