ラリースポーツを名乗るマッスルカー フォード・タウヌス 20M RS 英・独・南アの合作 前編

公開 : 2022.09.18 07:05  更新 : 2022.11.01 08:49

ラリーでの活躍に影響を受けたフォード・タウヌス。英国とドイツ、南アフリカによる合作を英国編集部がご紹介します。

フォード初のラリースポーツ・モデル

トヨタプリウスが発表される以前から、自動車業界では「ハイブリッド」という単語が一般的だった。主要部品が複数の国やメーカーから取り寄せられ、生産されたクルマという意味で。

シャシーやボディ、エンジンが別の大陸から工場へ運ばれてくる、という例も欧米では珍しくなかった。スーパーカーのデ・トマソ・パンテーラや、オープン2シーターのACコブラなどは最たる例といえるだろう。

フォード・タウヌス 20M RS(P7b型/1969〜1972年/南アフリカ仕様)
フォード・タウヌス 20M RS(P7b型/1969〜1972年/南アフリカ仕様)

今回ご紹介するクラシック・フォードは、さらに上をゆくハイブリッドだ。3か国による合作という、より複雑なプロセスを経て生み出されている。

アメリカの巨大自動車メーカー、フォードが欧州大陸へ本腰を入れて進出したのは1967年。欧州フォードが設立され、英国とドイツでモデル・ラインナップの共通化が進み、1971年には英国でもドイツ生産のタウヌスが販売されるようになった。

英国人の多くは、フォードのRS(ラリースポーツ)といえば、ラリーで活躍したエスコート RS 1600がその起源だと考えているはず。ロンドンの東部、アヴレイに拠点を置いていた、アドバンスド・ヴィークル・オペレーションズ(AVO)による活動として。

しかし、それより先に存在していたのが1967年のP6型タウヌス 15M RSだ。タウヌスはドイツ生産の上級モデルで、フォードとして初めてラリースポーツを名乗ったモデルだった。

大きなラリーイベントで活躍したタウヌス

販売で上回っていたオペルに対し、多くの関心を集めるべく設定された、イメージ先行のグレードといえた。実際、多くのドイツ人はフォードの作戦に釣られたようだ。

1968年には、最新版となるP7b型のタウヌス 20M RSの3台がロンドン・シドニー・マラソンラリーに参戦。英国からオーストラリアを目指す、完走するだけでも偉業といわれる過酷なラリーで、見事2台がゴール。1台は7位入賞という好成績を残した。

フォード・タウヌス 20M RS(P7b型/1969〜1972年/南アフリカ仕様)
フォード・タウヌス 20M RS(P7b型/1969〜1972年/南アフリカ仕様)

さらに、20M RSは同年の東アフリカ・サファリラリーにも参戦。ロンドン・シドニーを走破したマシンが上位入賞を果たした。

1970年代に入ってエスコートのRSモデルが人気を集める以前に、タウヌスは大きなラリーイベントで活躍し、「RS」というブランド力を構築したといえる。フォードがアフリカの暑さや悪路、砂埃にも強いことを証明した勝利ともいえた。

この成果を、南アフリカのフォードが見過ごすわけはなかった。現地のフォードは、独自仕様のタウヌスを提供したいと強く希望。南部の東ケープ州ポート・エリザベスにある工場で、1969年からノックダウン生産する契約が結ばれた。

提供されたボディタイプは、クーペにサルーン、ステーションワゴンと多彩。同時期に南アフリカで生産されていたコルチナに並ぶ上級モデルとして、ディーラーへ並んだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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