2.2Lにボアアップで250馬力 ジェンセン・ヒーレー 一緒に過ごして半世紀 前編

公開 : 2023.04.15 07:05

結婚と子育てで乗る機会は大幅に減少

「機械にはある程度詳しかったので、良くない評判を知っても特に驚くことはありませんでした。メンテナンスに、特別な工具を少し準備しています。インチ規格のスパナが必要な場所もありますが、作業自体は難しくありません」

「交換部品はグレートブリテン島の南部、ケルビン・ウェイにあったジェンセンの工場を訪ねて買うこともありました。でもヴォグゾールの部品を流用しているので、その番号がわかれば、比較的身近に安価で入手できるものも多かったんです」

ジェンセン・ヒーレー(1972〜1975年/英国仕様)
ジェンセン・ヒーレー(1972〜1975年/英国仕様)

当初、ロバートは通勤のためにジェンセン・ヒーレーへ乗ろうと考えていた。だが、派手な2シーター・ロードスターは、新卒の若者が会社へ乗りつけるのに適したクルマとはいえなかった。もっぱら、会社からの貸与車両で日々の通勤をこなした。

その結果というべきか、彼のクルマの走行距離は僅かに5万1500kmほど。1981年にはガールフレンドのカレンと結婚し、子供も生まれ、乗る機会は大幅に減ったという。

それでもオースチン・ヒーレー・オーナーズクラブのメンバーとして、彼はジェンセン・ヒーレーを大切に維持し続けた。このモデルに関しては、一目置かれる存在になるべく。

「わたしの父は、ことある毎に運転したいと連絡してきました」。とロバートが笑う。婦人のカレンは、新婚旅行の費用のために売るべきだったわね、と冗談交じりに茶化す。家族でのドライブ時は、子供をシート後方のパーセルシェルフへ座らせたそうだ。

ボアアップで排気量は2.2Lへ拡大

子育てが一段落する2000年代半ばまで、ジェンセン・ヒーレーは殆ど庫内に眠ったままに近かった。定期的にエンジンを動かすなど、必要な気配りはできていなかったと認める。「ボディの塗装は、時間の経過を隠していませんでした」

発起したロバートは、ジェンセンを得意とするガレージを営む、マーティン・ロビー氏へボディの再塗装を依頼した。フロントフェンダーの交換も含めて。「マーティンは、これまで手掛けたなかで最高の状態のジェンセン・ヒーレーだと話していました」

ジェンセン・ヒーレー(1972〜1975年/英国仕様)
ジェンセン・ヒーレー(1972〜1975年/英国仕様)

15週間後、美しい輝きを取り戻しクルマは戻ってきた。しかし5年後、オリジナルのエンジンは寿命を迎えた。下り坂へ駐車しただけでエンジンオイルが漏れたり、燃料供給に不具合が出るという悪評を持っていたことを考えると、良く持ちこたえた方だろう。

走行距離は短かったものの、調子は悪かった。「多くの人へエンジンを見てもらいました。ロータスへ造詣が深いマイク・テイラーさんへ相談したところ、リビルドが必要だという結論に至ったんです」。ロバートが振り返る。

定年を迎え、再びジェンセン・ヒーレーを楽しみたいと彼は考えていた。折角の機会ということで、排気量はボアアップで2.2Lへ拡大することにした。一緒に、トランスミッションもトヨタの5速マニュアルへの交換が決まった。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

2.2Lにボアアップで250馬力 ジェンセン・ヒーレー 一緒に過ごして半世紀の前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事

 

オースチンの人気画像