「フラット8」をミドシップ! ポルシェ718 W-RS(1) ボクスターやケイマンのサブネームに

公開 : 2024.03.02 17:45

タルガ・フローリオでクラス優勝

見た目の印象で違いを生んだ理由の1つが、2.0Lの水平対向8気筒エンジンを搭載するために新設計された、僅かに長いプラットフォーム。クーペとスパイダーで、若干異なっていたのだ。

ところが、1961年にイタリア・シチリア島で開かれた公道レース、タルガ・フローリオでデビューした718 W-RSへ積まれたのは、水平対向4気筒のタイプ587ユニット。771ユニットは、開発が間に合わなかった。

ポルシェ718 W-RS(1961年)
ポルシェ718 W-RS(1961年)

それでも、ステアリングホイールを握ったレーシングドライバー、ダン・ガーニー氏とヨアキム・ボニエ氏は、大きなハンディキャップを感じさせなかった。7時間以上に及ぶ10周のレースを完走し、軽快なスパイダーはクラス優勝を掴んでいる。

総合優勝したのは、V6エンジンを積んだフェラーリ・ディーノ 246 SP。それに続く総合2位という、称賛すべき戦績だった。

続くニュルブルクリンク1000kmレースとル・マン24時間レースでは、流石に4気筒エンジンの役不足が隠せなかった。軽さを活かしコーナーをすばしっこく旋回したものの、ライバルに並ぶスピードは出ず、パワー不足をポルシェに痛感させた。

最先端といえた、771ユニットの完成が待ち望まれた。とはいえ、ル・マンでは総合5位に食い込んだが。

その後、718 W-RSと718 GTRは10か月をかけて入念にアップデートされ、新しい8気筒エンジンに対応。1962年シーズンへ向けて仕上げられ、勝利を重ねていく。

新時代の到来を告げた8気筒エンジン

ちなみに、自動車ライターのカール・ルートヴィッセン氏の著書によると、ポルシェのF1エンジニアにとって、タイプ771ユニットは厄介がられたプロジェクトだったようだ。F1用の1.5L 8気筒、タイプ753ユニットより、開発が急かされたためだという。

その記述の中で、ある技術者の言葉が簡潔に載っている。「2.0Lエンジンの方が優れていたことは、明らかな事実です」

ポルシェ718 W-RS(1961年)
ポルシェ718 W-RS(1961年)

待望の771ユニットを搭載した718 W-RSとGTRがデビューしたのは、1962年5月6日のタルガ・フローリオ。753ユニットより2週間以上も早い実戦投入で、F1開発チームの反感を買ったことは間違いないだろう。

シチリア島の春の陽気に照らされた真新しいポルシェに、集まった観衆は興奮。主要な自動車メディアが、新しいエンジンを写真へ残そうとパドックに群がった。

この771ユニットの登場は、ポルシェのワークスチームにとって大きな節目となった。718 W-RSは、4本以上のシリンダーで構成するエンジンを積んだ同社初のスポーツカーとして、新時代の到来を告げた。

また、冷却用のグラスファイバー製ファンをエンジン上部にマウントした初めての例でもあり、これはル・マン優勝を果たす917へ受け継がれた。6速マニュアル・トランスミッションの先駆者でもあった。

この続きは、ポルシェ718 W-RS(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ニール・ウィン

    Neil Winn

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジョン・ブラッドショー

    John Bradshaw

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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