幻のTVR12気筒モデルに特注フェラーリも たった1台しか作られなかった奇抜なクルマ 33選(中編)

公開 : 2026.07.26 11:25

大量生産が当たり前となった現代では、1台限りの「ワンオフ車」を作ることはかえって難しくなっています。今回は、莫大な費用をかけて生産された世界中のワンオフ車の中から、特に興味深いものをピックアップしました。

ルノー・エスパスF1(1995年)

ルノーはエスパス生産開始10周年を記念して、フォードの手法を参考に、驚異的な高性能ミニバンを開発した。1993年のF1マシン、ウィリアムズ・ルノーFW15Cのシャシーと駆動系をエスパスに組み込んだのだ。その結果生まれたエスパスF1は、人を乗せるのにはあまり向いていない(とはいえシートは4席ある)が、タイヤを摩耗させることに関してはかなり優秀だ。最高出力約800psを誇り、0-193km/h(0-120mph)加速は6.9秒、最高速度は312km/hに達する。子供の送り迎えにうってつけだ。

ルノー・エスパスF1(1995年)
ルノー・エスパスF1(1995年)

TVRスピード12(1996年)

1996年のバーミンガム・モーターショーで『プロジェクト7/12』として公開されたこのTVRは、7.7L V12エンジンから最大880ps(メーカー公称値)を叩き出し、世界最速の公道走行車となることを目指していた。当初は公道仕様に改造可能なGT1レーサーとして構想されていたが、1998年にプロジェクト名は『スピード12』へと改められた。

レース規定が変更され、TVRのピーター・ウィーラー社長は、このマシンが公道用としては速すぎると判断した。車両重量1000kgで、適切なギア比を設定すれば最高速度386km/hの達成も可能とされていたが、ウィーラー氏はそのパワーを扱いきれないドライバーにこのような「怪物」を売ることを躊躇したため、開発計画は頓挫した。

TVRスピード12(1996年)
TVRスピード12(1996年)

ローバー25アートカー(2002年)

MGローバーはこのような馬鹿げたことをしていたのだから、倒産したのも無理はない。2002年、MGローバーは若手ファッションデザイナーのマシュー・ウィリアムソン氏と提携し、ロンドン・ファッション・ウィークに合わせて、華やかな25を製作した。さまざまなピンク(pink)の色合いを纏ったこの車両は、内気(shrinking violet)な人には向かない1台だった。

ローバー25のエクステリアは特に見栄えが良いわけではないが、インテリアを長時間目にしていたら、おそらくカウンセリングが必要になるだろう。華美な模様のカーペットやドアトリムのインサート、そして大量のネオンピンクが施された25の車内は、当時MGローバーがターゲットとしていた若い女性たちはもちろん、バーバラ・カートランド氏でさえも圧倒してしまったに違いない。

ローバー25アートカー(2002年)
ローバー25アートカー(2002年)

マイバッハ・エクセレロ(2005年)

バットマンの映画から飛び出してきたような外観だが、エクセレロは銀幕での主役を務めるために設計されたわけではない。むしろ、ドイツのタイヤメーカー、フルダが資金を提供し、マイバッハ57リムジンのプラットフォームをベースに、高速走行用タイヤのテストベッドとして設計されたものだ。

フルダがマイバッハと提携したのはこれが初めてではなく、また自社製品を実証する目的で車両を製作したのも初めてではなかった。早くも1938年には、ドイツのアウトバーンで高速タイヤテストを行うため、フルダの資金提供により1台限りのマイバッハSW38が製作されたことがある。

マイバッハ・エクセレロ(2005年)
マイバッハ・エクセレロ(2005年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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