フランク・シナトラとライフ誌の表紙へ デュアル・ギア(2) いかにもミッドセンチュリーな内装 後ろ寄りのV8で優れた操縦性

公開 : 2026.07.25 17:50

ギア社のスタイリングと、クライスラーのパワートレインが融合したデュアル・ギア。僅か3年の提供でしたが、ハリウッド・セレブからも話題を集めました。117台の希少車を、UK編集部が振り返ります。

フランク・シナトラもオーナーに

ユージーン・カサロール氏は、当初からデュアル・ギアを限定的に生産しようと考えていた。1955年当初、年間150台の提供が告知されたが、楽観的な数字なことは反響から明らかだった。

北米価格も、最高峰のキャディラック・エルドラドが5000ドル程度だった時代に、7646ドルと強気といえた。最終的にラインオフしたギアは、117台。2台のクーペと、13台のプロトタイプを含めて。

デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様)
デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

特別なモデルとして受け止められるよう、購入希望者の審査は厳しかった。他方、技術者のポール・ファラゴ氏は、歌手のディーン・マーティン氏や俳優のピーター・ローフォード氏といったハリウッドスターへ、積極的に売り込んだ。

かくして、歌手のフランク・シナトラ氏や女優のデビー・レイノルズ氏も、ギアを所有することに。ゴシップネタを得意とした作家のドロシー・キルガレン氏は、「ロールス・ロイスは、デュアルを買えない人のステータスシンボル」と綴ったほど。

ライフ誌の表紙を飾ったデュアル・ギア

ところが、一般に認知されるには至らなかった。1958年12月号のライフ誌は、自身のギアと一緒に映るシナトラの写真が表紙を飾ったが、その時点で生産は終了していた。これを機に知名度は上昇したといえ、あと1年早ければ状況は違っただろう。

自動車雑誌では、芸術的なイタリアン・コーチワークと、シンプルなアメリカン・メカニズムの融合が称えられた。「女優のジーナ・ロロブリジーダ氏が提供する素晴らしい世界観と比べても遜色ない、性能を実現しています」と紹介した記事もあった。

デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様)
デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

実際、ギアは車重が1633kgと車格の割に軽量で、0-100km/h加速を8.2秒でこなした。最高速度は199km/hに届き、不満のない動力性能にあった。

ただし、速さを追求したコンバーチブルではなかった。「ホットロッドを作ったのではありません。レースはして欲しくありませんね」と、ファラゴは後に語っている。

インテリアはいかにも1950年代のアメリカ車

全長5169mmのギアへ歩み寄る。フロントグリルだけでなく、ボディの随所をクロームメッキ・トリムが飾る。ドアを開いた内側、サイドシル部分でもクロームメッキが輝くが、これはオーナーへ向けたデュアル・モーターズのこだわりといえる。

インテリアはツートーンで、いかにも1950年代のアメリカ車。ダッシュボードには、クライスラー由来のメーターやスイッチが並ぶ。メーターパネルには、美しいエンジンターン模様が施され、ミッドセンチュリー時代の高級レストランのようだ。

デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様)
デュアル・ギア(1955〜1958年/北米仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

スピードと同じデザインのタコメーターは、クライスラーに用意がなく、デュアル・モーターズの特注品。グローブボックスには、初代オーナーの名が刻まれたプレートがあしらわれる。パワーウインドウは、納車後に不備が指摘され追加で装備されている。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジュリアン・バルメ

    Julian Balme

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

デュアル・ギアの前後関係

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