名門「ブラバム」仕様も! ヴォグゾール・ビバ HAからHC(2) クーペのフィレンザは唯一の現存

公開 : 2024.04.07 17:46

英国の乗用車のど直球といえた、ビバの誕生から60年 初代のHAから、モデル最後を飾ったHC クーペのフィレンザ 実は日本車への影響も大 英国編集部が4台をご紹介

速さを求めるドライバーへ訴求したブラバム

KXE 154Dのナンバーで登録された、レッドの1966年式ビバ HBは、ブラバム・デラックス。ヴォグゾールの広報車両として当時活躍した個体そのもので、オーナーのエイドリアン・ミラー氏は、ヴォグゾール・ビバ・オーナーズクラブの創設者でもある。

エイドリアンは納屋に放置された状態で発見し、約20年前にレストアを終えて公道へ復帰させたという。ビバ HBでは現存最古の1台と考えられ、ナンバー登録されている唯一のブラバム・デラックスでもある。

ヴォグゾール・ビバ HB ブラバム(1967〜1968年/英国仕様)
ヴォグゾール・ビバ HB ブラバム(1967〜1968年/英国仕様)

オプションだったレブカウンターが備わり、最高速度は149km/hと、50年以上前のモデルとしては優秀。ロータス・コルティナには及ばなかったものの、差別化された容姿も手伝って、速さを求めるドライバーへ効果的に訴求した。

1970年10月に、3代目のビバ HCが登場。コイルスプリングを内蔵したプルマフレックス・シートと、広大な荷室を強みとして販売するよう、ヴォグゾールはディーラーに伝えたらしい。

ボディサイズは、同時期のフォード・エスコートとコルティナ Mk IIIの中間。英国市場だけでなく、カナダへの輸出も強く意識され開発された事実を示している。

ビバ HAとHBは、彼の地ではゼネラルモーターズ(GM)傘下のエボニーというブランドから、エピックの名前で販売されていた。しかしHCは、ヴォグゾールからフィレンザという名前で売られている。

エスコート RS2000と同等の動力性能

1972年、信頼性の低さを理由にフィレンザは生産を一時停止。ヴォグゾールは、同社のビクターに載っていた、1.8Lと2.3Lエンジンへの置換を決める。このエンジンは、英国のビバ HCにも展開された。

1973年にフェイスリフト。イメージ改善のため、隅々まで敷き詰められたカーペットや、7枚並んだメーターなど、豪華装備も強く主張された。このクラスでツインキャブレターの2.3Lエンジンを搭載したモデルは、英国には他に存在しなかった。

グリーンのヴォグゾール・ビバ HC 2300SLと、レッドのヴォグゾール・フィレンザ 1300SL
グリーンのヴォグゾール・ビバ HC 2300SLと、レッドのヴォグゾール・フィレンザ 1300SL

今回の4台では、グリーンのビバがHC 2300SL。テリー・ハワード氏が納屋で眠っているのを発見し、走れる状態へ戻している。「当時のビバの広告では、2300SLは運転の楽しさが強調されていました」。と彼は振り返る。

「動力性能としては、フォード・エスコート RS2000と同等ですね。オーバースクエア・ピストンのおかげでトルクが太く、中回転域ではかなりたくましい。自動車イベントでは、実はビバを持っています、が挨拶のようになっています」

そして最後の1台は、カナダ仕様と同じ名を冠したヴォグゾール・フィレンザ。出発が待ち遠しくなるような2ドアクーペとして、1971年半ばに英国でリリースされている。

コスト上の理由から、ボディの下半分はビバ HCの2ドアサルーンと同じ。フォード・カプリの好敵手を求めていたディラーからは、見た目で不満を招いた。オペルのショールームには、スタイリッシュなクーペ、マンタも並んでいた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アンドリュー・ロバーツ

    Andrew Roberts

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ヴォグゾール・ビバ HAからHCまでの前後関係

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