注文は3台のみ フェラーリ250 GT SWB エアロダイナミコ(1) スムーズなファストバック

公開 : 2025.04.12 17:45

ランチア家と親しい関係にあった初代オーナー

その1台を申し込んだのは、フェルディナンド・ガッタ氏。オーバードライブ・ギアにディスクブレーキ、レザーインテリアを備える250 GT 2+2がベースで、当初の550万リラから、特別なボディによって735万リラ以上になると見積もられた。

ガッタは、1947年からランチア・トリノ支社の代表へ就任。創業者のヴィンチェンツォ・ランチア氏を親戚とし、一族とも親しい関係にあった。自動車をこよなく愛し、ザガート・ボディのランチアB20 GTで、モータースポーツにもデビューしている。

フェラーリ250 GT SWB クーペ・エアロダイナミコ(1962年式/欧州仕様)
フェラーリ250 GT SWB クーペ・エアロダイナミコ(1962年式/欧州仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

ところが、ランチアは1955年に倒産。1958年に経営権はカルロ・ペゼンティ氏が引き継ぎ、ガッタとの関係性は途切れてしまう。それでも、自らの富はクルマに向けられた。

ピニンファリーナ社の創業者を父に持つセルジオ・ピニンファリーナ氏は、1962年1月にエンツォ・フェラーリ氏へ書簡を送っている。250 GT ショートホイールベースの特別注文を、快くお請けしますと。

ガッタのもとへ、250 GT エアロダイナミコが届けられたのは、1962年の後半。その仕上がりに喜び、エンツォへ御礼状が送られた。

「友人のセルジオ・ピニンファリーナから、わたしの希望どおり、スーパーアメリカの(ショートホイールベース)シャシーに、3.0Lエンジンを搭載していただいたと聞きました。例外的なカスタマイズに感謝いたします」

エンジンは3.0L V12のティーポ168/61

そんな例外は、250 GTでは5台のみに施されている。その内、1台作られたル・マン・レーサーのベルリネッタ・エスペリメンターレを除いて、すべてクーペ・エアロダイナミコ仕様だった。

ちなみに、ベルリネッタ・エスペリメンターレは、シャシー番号2643GT。250 GTOのプロトタイプ的な位置付けにあり、1962年のデイトナ24時間レースではドライバーのスターリング・モス氏がドライブし、クラス優勝を遂げている。

フェラーリ250 GT SWB クーペ・エアロダイナミコ(1962年式/欧州仕様)
フェラーリ250 GT SWB クーペ・エアロダイナミコ(1962年式/欧州仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

これに続いた例外が、ピニンファリーナ・ボディ。1台目はシャシー番号シャシー2429GTで、フランスへ納車されている。2台目はシャシー番号2613GTで、オランダのベルンハルト王子へ届けられた。

1961年には、ロンドン・モーターショーへ向けて、ロングホイールベースの2821GTを製作。3台目のショートホイールベースがシャシー番号3615GTで、今回ご紹介するガッタのファストバック・フェラーリだ。

フラットな楕円形のフロントグリルを、丸いスポットライトが挟む。低い位置に据えられたフロントバンパーと、フロントのホイールアーチ後方へ伸びるキャラクターライン、サイドのエアベントなどが特徴だろう。

エンジンは、3.0L V12のティーポ168/61「ジョアッキーノ・コロンボ」ユニット。後期型で、バルブの直径が僅かに拡大され、ティーポ128ユニットと同じカムシャフトと、6分岐の吸気ヘッドが載っている。キャブレターは、トリプル・ウェーバーだ。

この続きは、フェラーリ250 GT SWB エアロダイナミコ(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    アーロン・マッケイ

    Aaron McKay

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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