【いすゞアッソ・デ・フィオーリ誕生の軌跡:前編】ジウジアーロがデザインしたピアッツァの原点!始まりは117クーペ

公開 : 2025.06.24 12:05

提案はジウジアーロ氏だが主導はいすゞ

この意図について、いすゞ広報から文章にて提供された『宣伝会議別冊』1982年12月号の『いすゞ自動車「ピアッツァ」のスタイルがいすゞデザインの証』では、以下のように掲載されている。

『いすゞ社内で当初コンセプトとしてSSW(スーパー・スポーツ・ワゴン、スポーティ・スペーシャス・ワゴンなど)を企画し、外形は大きくすることなく居住性のよいインテリアを有する新しいタイプの車、走る愉しさと快適な空間、多用途志向できるフィーリングを持つクーペで、当然「117クーペ」をさらに超える次の時代を先取りする車を狙ったのです。形づくりに入る前に相当リアルな内容を、仮説として計画したうえで、ジウジアーロとのコンタクトを始めました。彼の才能をいすゞの目的に合わせたうえで、(筆者追記:最大の)成果を上げることこそ狙いだった』。

オートモビルカウンシル2025に来場した、ジョルジェット・ジウジアーロ氏。
オートモビルカウンシル2025に来場した、ジョルジェット・ジウジアーロ氏。    中島仁菜

またさらに、『いすゞの企画で具体的構想とイメージの設定、デザインスタディを終えたうえでジウジアーロの力を引き出す醸造方式の提携と言えるでしょう』と記されている。つまりこのプロジェクトが、あくまでいすゞ主導であることが暗に示されており興味深い。

この条件に対しジウジアーロ氏からは、以下の回答があった

・エンジン位置が高くボンネットに制限があることもあり、良いスタイルにするのは難しいが努力する
・バンパーは、US仕様のポルシェ風(ボディ同色の灯火類ビルトイン樹脂バンパー)
・9月末にレンダリング完成
・翌年3月のジュネーブ・ショーは、このプロトタイプのみ出展

こうしてショープロトタイプ、後の『アッソ・デ・フィオーリ』開発がスタートしたのであった。

(後編につづく/6月25日公開予定)

記事に関わった人々

  • 執筆

    内田俊一

    Shunichi Uchida

    日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を生かしてデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。長距離試乗も得意であらゆるシーンでの試乗記執筆を心掛けている。クラシックカーの分野も得意で、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員でもある。現在、車検切れのルノー25バカラとルノー10を所有。
  • 撮影

    中島仁菜

    Nina Nakajima

    幅広いジャンルを手がける広告制作会社のカメラマンとして広告やメディアの世界で経験を積み、その後フリーランスとして独立。被写体やジャンルを限定することなく活動し、特にアパレルや自動車関係に対しては、常に自分らしい目線、テイストを心がけて撮影に臨む。近年は企業ウェブサイトの撮影ディレクションにも携わるなど、新しい世界へも挑戦中。そんな、クリエイティブな活動に奔走しながらにして、毎晩の晩酌と、YouTubeでのラッコ鑑賞は活力を維持するために欠かせない。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

ジウジアーロ・デザインのコンセプトを深掘り!の前後関係

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