【あの時、手放さなければ】夏が来れば思い出す?セルシオ、ランサー、W126メルセデスなどもう一度乗りたいクルマ5選!

公開 : 2025.08.11 11:45

これまで50台を愛車にしてきたエディター&ライターの木原寛明が、『あの時、手放さなければ』、『もう一度乗りたい』と思う5台を紹介。夏が来れば思い出す、遥かなセルシオ、遠いメルセデス……。

約50台を愛車にして後から思う

新車もあれば中古車もある。

齢59にして、およそ50台を愛車にしてきたのが数多いことは自分でも理解している。中には5年間を共にした相棒もいれば、わずか1ヵ月という短い付き合いだったものもある。今にして思う。せめてこの5台はもっと長く乗ればよかったと。

筆者が「あの時、手放さなければ」と思う、一生モノの名車たちをご紹介。
筆者が「あの時、手放さなければ」と思う、一生モノの名車たちをご紹介。    トヨタ自動車、三菱自動車、メルセデス・ベンツ

筆者が「あの時、手放さなければ」と思う、一生モノの名車たちをご紹介する。

初代トヨタ・セルシオ(後期型C仕様)

新車の時は予算的に買えなかったので、5年落ちを購入した後期型C仕様の初代『トヨタ・セルシオ』。それでも新車のように綺麗なクルマだった。

この頃は高速道路を使った長距離移動が多かったので、トムス、サード、ミシュラン、OZなど一流ブランドのパーツを組み込んでより快適な高速走行を目指した。排気量の5L化、スーパーチャージャー装着などの計画もあったが、ノーマルの排気量でも十分によく走った。

初代トヨタ・セルシオ(実際に所有した車両ではなく広報写真)。
初代トヨタ・セルシオ(実際に所有した車両ではなく広報写真)。    トヨタ自動車

ドライバーとの相性はバッチリ。相思相愛だったのだが、とあるコンパクトカーのウェブサイトを立ち上げるのを機に、愛車も買い替えてしまった。このセルシオは大学時代の北海道に住む友人に買ってもらい、その後10年くらい乗ったらしい。「いいクルマだ!」と彼はいつも言ってくれた。

5代目トヨタ・カローラ・レビン(AE86前期型GTV

新車がデビューした時に欲しかった、AE86型『トヨタ・カローラ・レビン』。その時は予算的に買えなかった。

4、5年後、ふと通りかかったトヨタ中古車センターにシルバーのカローラ・レビンを発見。クルマの状態はよく、地味なアルミホイールに履き替えられている以外はノーマルで、価格も良心的なものだった。

5代目トヨタ・カローラ・レビン(実際に所有した車両ではなく広報写真)。
5代目トヨタ・カローラ・レビン(実際に所有した車両ではなく広報写真)。    トヨタ自動車

この頃の僕はレースもやっていて『もっと運転が上手くなりたい』という強い思いを持っていたので、軽量なFRでマニュアルトランスミッションのAE86は理想的なクルマに思えた。

購入後、すぐさま強化サスペンション、LSD(リミテッド・スリップ・デフ)、ハイグリップタイヤと極太のアルミホイールなどを入れて夜な夜な峠を走った。が、しかし、どうしても自分の思い通りに走らせられない。ウデがなかったからといえばその通りだが、過度なハイグリップタイヤを履かせたのが良くなかったのではないか。

結局は、半年ほど乗っただけで大学時代の自動車部の後輩に安く譲ってしまった。過ぎたるは及ばざるが如し。ノーマルから始めてじっくりと付き合いたかったクルマである。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    木原寛明

    Hiroaki Kihara

    1965年生まれ。玉川大学では体育会ノリの自動車工学研究部に所属し、まだ未舗装だった峠道を走りまくった。最初の愛車(本当は父のもの)は2代目プレリュード(5MT)。次がフルチューンのランサーEXターボ。卒業してレースの世界へと足を踏み入れたものの、フォーミュラまで乗って都合3年で挫折。26歳で自動車雑誌の編集部の門を叩き、紙時代の『AUTOCAR JAPAN』を経て、気が付けばこの業界に30年以上。そろそろオーバーホールが必要なお年頃ですが頑張ります!
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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