【ロールス・ロイス・ファントム100周年】音楽界のスターたちが愛したファントム
公開 : 2025.08.28 08:05
キース・ムーン
ロックンロール史に残る最も有名な逸話の1つは、『ザ・フー(The Who)』のドラマー、キース・ムーンの21歳の誕生日の出来事である。
天賦の才を持ちながらも破滅的な人生を送った彼は、ミシガン州フリントのホリデイ・インで、自らのロールス・ロイスをプールに沈めてしまったといわれている。

実際、その夜に何が起こったかについては諸説があり、1972年のローリング・ストーン誌でムーンが「プールに沈んだのは他の客のリンカーンで、自分がハンドブレーキを外して転がり込ませた」と語る一方、「そもそもクルマがプールに沈んだ事実などなかった」と主張する出席者もいた。
真相がどうであれ、この伝説はあまりに強烈で、ロックンロール的享楽の象徴として語り継がれることになった。そして、その象徴に相応しいクルマは、やはりロールス・ロイス以外にはあり得ないといえるだろう。
そして今、ファントム生誕100周年と、ロックンロール神話におけるその存在感を讃えて、ロールス・ロイスはこの伝説を現実のものとした。
廃車となる予定の退役したプロトタイプのファントム・エクステンデッドのボディシェルを、実際にプールに沈めることで、この伝説を生き返らせたのだ。
その舞台となったのは、イングランド南西部プリマスにある、アールデコ様式の名所『ティンサイド・リド(Tinside Lido)』。イギリス海峡に面したこのプールは、ジョン・レノンともゆかりのある場所である。
ビートルズが映画『マジカル・ミステリー・ツアー(The Magical Mystery Tour)』の撮影でここを訪れ、写真撮影が行われた。同年には、レノンは黄色に塗装して手書きの装飾を施したファントムVを披露し、ファントムは音楽伝説の中でその地位を不動のものとしたのだった。
ヒップホップ・スターとファントム
2003年にグッドウッドに移転して以来、ロールス・ロイスは現代音楽との結びつきを一層強めてきた。ロールス・ロイスは2016年までに、ヒップホップの目覚ましい隆盛にも後押しされ、リリックの中で最も多く名を挙げられるブランドとなっていた。
ヒップホップは1990年代にはすでに文化の中核を担う存在となり、世紀の変わり目には広く家庭にも浸透していた。これは、ロールス・ロイスのグッドウッドでの新時代の幕開けと、2003年のファントムVIIの発表と時を同じくしている。

2004年にファレル・ウィリアムズとスヌープ・ドッグは『ドロップ・イット・ライク・イッツ・ホット(Drop It Like It’s Hot)』のミュージックビデオにファントムVIIを登場させた。この曲は全米ビルボード・ホット100で3周連続1位を獲得し、ファントムとヒップホップ界のトップ・アーティストたちとの長きにわたる結びつきの始まりとなった。
50セントは、テレビドラマ『アントラージュ★オレたちのハリウッド(Entourage)』にファントムVII ドロップヘッド・クーペに乗って登場し、そのシーンは広く拡散されるミームとなった。また、リル・ウェインのアルバム『カーターII(The Carter II)』をはじめ、多くのアルバム・ジャケットにもファントムは登場している。
さらには、ヒップホップはロールス・ロイスを象徴する装備『スターライト・ヘッドライナー』の人気を高めるうえでも大きな役割を果たした。『stars in the roof(天井の星々)』というフレーズやその派生はラップの歌詞に繰り返し現れ、ロールス・ロイスのオーナーシップを語る詩的な符号として広く浸透している。
ファントムは進化を続けながら、常に現代音楽の歴史に存在感を示し続けてきた。どの時代においても、アーティストや革新者たちに自己表現の手段、憧れ、そしてアイデンティティを与えてきたといえる。第二の世紀へと歩みを進めるファントムは今もなお、成功、個性、そして人間の想像力を象徴し続けるのだ。
注:本稿中でプールに沈められたファントムは、初期のプロトタイプ車両で、法的に破壊が義務付けられており、公道走行・販売・寄付などはできないものである。エンジン、ギアボックス、ブレーキ、バッテリーを含むすべての機械的・運用部品は撮影時にはすでに取り外されており、残っていたのは空のボディシェルのみである。プールに入れる前には底面を徹底的に清掃し、撮影はティンサイド・リドの衛生・安全チームと十分に協議のうえ実施。施設や環境に被害を与えず、利用者への影響を最小限に抑えるように配慮して行われた。


























